ホリショウのあれこれ文筆庫

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第64話 アイヌ民族

序文・北海道の先住民アイヌ民族について調べてみました。

                                   堀口尚次

 

 アイヌは、北は樺太から千島列島・カムチャッカ半島、北海道を経て、南は

本州北部に跨(またが)る地域に居住していた民族である。19世紀に列強の国々による

領土拡張の際、世界各地で多くの先住民族が列強の国々に編入され、アイヌも同様の運命を辿った。1855年日露和親条約で北方地域における国境線決定により、当時の国際法の下、日本とロシアの各々の領土が確定し編入された以降、アイヌは日本国民またはロシア国民となった。

 アイヌは、元来は狩猟採集民族であり、文字を持たず、物々交換による交易を行う、独自の文化を有する。母語アイヌ語で、独特の文様を多用する文化を持ち、織物や服装に独特の文様を入れる。嘗(かつ)ては身体にも入墨(いれずみ)を入れていた。

 アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、元々は「カムイ=自然界の全ての物に心があるという精神に基づいて自然を指す呼称」に対する概念としての「人間」という意味であったとされる。

 大和民族(和人)は、中央政権から見て開拓されていない東方や北方に住む人々を古代中国の呼び名より蝦夷、幕末期には「土人(その当時は純粋に「土地の人」や「地元の人」の意味で用いられた言葉であったが、大正時代以降には次第に侮蔑感とともに使われるようになったとされる)」と呼称し、次第にこれが渡嶋(わたりのしま)=北海道の旧称 から北の人々を指す言葉となり「アイノ」(=アイヌ)と同一して呼ばれるようになる。 その他にも一般的には「アイヌ人」「アイヌの人々」「アイヌ民族」など様々な呼び名があり、歴史的文書にも色々な言い方がされている。

 明治2年蝦夷地は北海道と改称され、同時に開拓が本格的に開始され屯田兵=開拓目的の兵隊 や一般の農民が次々と入植し、和人の人口が増加した。戸籍制度において、アイヌの人々は日本国の「平民」とされるが、イオマンテ【羆(ひぐま)などの動物を殺してその魂であるカムイを神々の世界へ送り返す儀礼】や入墨、耳環など、アイヌ伝統の文化は「陋習(ろうしゅう)=卑(いや)しい悪い習慣」とみなされた。その後には女子の入墨とチセウフイカ(故人を弔うためその家を焼く風習)が禁止される。同時に「旧土人学校」(アイヌ学校)が各地に設立され、アイヌ語の禁止などは行われなかったものの、教育が日本語で行われたことでアイヌ語話者は漸減(ぜんげん)=次第に減る していく事になる。

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イオマンテの義礼