ホリショウのあれこれ文筆庫

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第99話 不平士族の反乱

序文・日本最大の内戦、西南戦争の最期で、西郷隆盛は「もうここらでよかろう」といい自刃し介錯された。

                               堀口尚次

 

 佐賀の乱・神風連(しんぷうれん)の乱・秋月の乱萩の乱そして、西南戦争・福岡の変へと続くが、いずれも旧肥前藩・旧肥後藩・旧秋月藩・旧長州藩・旧薩摩藩と、幕末の薩長土肥(さっちょうどひ)といった、中心となって新政府を創り上げた藩ばかりである。廃藩置県を断行し、秩禄(ちつろく)処分をし、武士の身分を士族や卒族に変えて行ったのは他ならぬ彼らだ。討幕された旧幕府側でもなく、自分達が創った新政府に、自分達が反乱を起こした訳だから、所謂(いわゆる)内乱だ。

 秩禄処分は、かつての華族・士族の特権であった禄(ろく)=給与 を強制的に取り上げ、期限付きでわずかな利子しか受け取れない公債に替える急進的な改革であった。支配層がほぼ無抵抗のまま既得権を失ったという点で、世界史的にも稀な例とされる。士族による武力の独占的提供義務は徴兵令で失われ、廃刀令によって士族の特権と誇りも失われつつあった。士族自身も近代国家建設のため旧特権を廃止することの必要性は理解していた。一方で、旧藩主階級は廃藩置県により藩の債務から解放されたうえで、公債額の算出根拠となる家禄が旧藩収入の一割とされるなど優遇され、華族となることで様々な恩恵を与えられ、また東京居住を強制されることで旧家臣団からは切り離された。これらが、秩禄処分が極めて小さい抵抗の下で実行された理由だ。

 朝鮮出兵を巡る征韓論で、政府が紛糾し、明治六年政変で西郷隆盛薩摩藩)、江藤新平肥前藩)、板垣退助土佐藩)らが下野すると士族層に影響を与える事となった。こうして不平士族の反乱は勃発するが、政府は反乱軍の2倍以上の兵力を投入し鎮圧したが、兵数、装備、兵站など、政府軍はあらゆる面で西郷軍より有利な条件を有していたにもかかわらず、同等の戦死者数、戦傷者が発生するなど、政府の軍事的な弱さを露呈する結果ともなった。この戦いは日本のその後の富国強兵政策の礎(いしずえ)になった。また、いわゆる薩長土肥出身者による藩閥(はんばつ)を生むことにもなった。西南戦争以後、不平士族の反対運動は反乱に加担しなかった板垣らを中心に、国会開設や憲法制定を要求する自由民権運動に移行する。

 結局、新政府で揉(も)めて下野した、江藤新平前原一誠などを中心に、廃藩置県秩禄処分廃刀令・徴兵令などにより失われていった士族達の不満の火種が燻(くすぶ)っていたのだ。西郷隆盛は大将として担がれてしまったのだ。

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※旧知の仲だった二人は、ここで袂を分かつことになる。