ホリショウのあれこれ文筆庫

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第700話 日本一の兵・真田幸村

序文・真田十勇士

                               堀口尚次

 

 真田信繁(さなだのぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌行の次男。通称は左衛門佐で、輩行名(はいこうめい)は源二郎〈源次郎〉。真田幸村(ゆきむら)の名で広く知られている。

 豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康を追い詰め、本陣まで攻め込んだ活躍が江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、日本一(ひのもといち)兵(つわもの)」と評されるなど日本の国民的ヒーローとされている。後世、軍記物、講談、草双紙〈絵本〉などが多数創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。

 「真田幸村」の名が広く知られているが、諱(いみな)は「信繁」が正しい。直筆の書状を始め、生前の確かな史料で「幸村」の名が使われているものは無い。信繁は道明寺の戦いで勇戦した家臣6名に対して、将棋の駒型の木片に戦功を書き記した感状を与えている。「繁」の字の下半分に花押を重ね書きする信繁の書き癖から翻刻された際に「信仍」「信妙」と誤写されているが、花押の形が信繁のものであると断定でき、死の前日まで「信繁」と名乗っていたことが確認できる。また、幸村と署名された古文書は、記録類のなかに書写されたものが2通見られるが、いずれも明らかな偽文書で、信繁が幸村と自称したことの証明にはならない。

 旗印である六文銭は、冥銭(めいせん)を表しているといわれている。冥銭とは本来古代中国の習俗で、日本ではとくに亡くなった人を葬る時に棺に入れる六文の銭を意味し、三途(さんず)の川の渡し賃のことである。これを旗印にすることは「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」を意味するといわれている。

 真田幸村の10人の忠臣として著名な「真田十勇士」は、『難波戦記』や『真田三代記』を底本して大正時代に一世を風靡した立川文庫で講談として創作された。この書き講談は、『真田諸国漫遊記』など20数巻ある。真田領の近くには、忍びの里として有名な「戸隠の里」の伝承があり、いわゆる現在の幸村伝説と、彼をとりまく十勇士という組み合わせは、明治末から大正、昭和にかけて子どもの人気を集めた。