ホリショウのあれこれ文筆庫

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第721話 日本のウヰスキーの父・竹鶴政孝

序文・サントリーとニッカ

                               堀口尚次

 

 竹鶴政孝は、広島県賀茂郡竹原町〈現・竹原市〉出身の日本の実業家。ウイスキー製造者、技術者。会社経営者。ニッカウヰスキーの創業者であり、サントリーウイスキーの直接的始祖、マルスウイスキーの間接的始祖でもある。これらの業績から「日本のウイスキーの父」と呼ばれる。

 竹鶴という苗字は、家現在の竹鶴酒造〉の裏にあった竹林にが巣を作ったことから由来している。親会社〈アサヒビール〉に機能子会社化されるまで大株主であった元オーナー一族の竹鶴威(たけし)は養子〈実の甥〉にあたる。

 1923年、鳥井信二郎に招かれ寿屋〈現在のサントリー〉山崎蒸溜所初代所長として、日本初の本格スコッチ・ウイスキー製造を指揮。その後、より本格的なスコッチの製造を指向して大日本果汁〈現在のニッカウヰスキー〉を興した。あくまでも品質にこだわり続けた技術者として知られる。

 1962年、イギリスのヒューム外相が来日した際、“一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった”という意味の発言をしたといわれている。もちろんこれは竹鶴に対する賞賛であった。このとき話題に出たノート〈竹鶴ノート〉はしばらく所在不明であったが、のちに竹鶴が当時所属していた摂津酒造〈1964年10月、宝酒造に吸収合併〉関係者の子孫が保存していることが分かり、ニッカウヰスキーに寄贈された。

 酒量はウイスキー1日1本。晩酌には同社の二級ウイスキー〈1960年代 - 1970年代当時〉であるハイニッカを好み、おつまみとして醤油味の超極薄の薄焼き煎餅と供に楽しみながら飲んでいた。ただし、晩年には3日で2本に減らしたという。

 2014年度後期に放送されたNHK連続テレビ小説『マッサン』の主人公である亀山政春〈演 - 玉山鉄二〉のモデルとなった人物である。

 竹鶴はウイスキーの品質だけでなく、その容器も「嫁入り道具」としてこだわっている。高級品の瓶にはさりげなく竹や鶴があしらわれていたりと細かい仕事がされていることがよく分かる。現在も「鶴」など一部製品にはこの伝統が残されている。