ホリショウのあれこれ文筆庫

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第769話 朝鮮半島離散家族問題の責任

序文・民族分断の悲劇

                               堀口尚次

 

 離散家族とは、家族問題(家庭問題)で散り散りになった家族を意味する言葉である。機能不全家族の一種でもあり、一家離散とも称されるが、朝鮮半島の南北分断の結果、大韓民国韓国朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮との間で離れ離れになってしまった家族を指す言葉として用いる。

 第二次世界大戦終結後に、朝鮮半島は日本の統治下から脱する事が決まったが、同時に連合国の政策で連合国軍の軍事占領下に置かれることが決められ、北緯38度線を境界として南側はアメリカ軍が、北側はソビエト連邦軍が占領統治することになった。これが朝鮮半島の南北分断の始まりである。

 当初は38度線の間は問題なく往来可能であったが、冷戦下、南北ともそれぞれアメリカ、ソ連の強い影響下で新しい国作りが始まり、南北は歩み寄るどころか対立を深めていった。そのような中、1946年5月23日、38度線を越えて朝鮮人が往来することが禁止された。これが離散家族問題の発端である

 結局、1948年には大韓民国〈韓国〉と朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮〉が成立し、それぞれ朝鮮半島の正統政権であることを主張する2つの国が出来てしまった。発足したばかりの韓国と北朝鮮は対立をさらに深め、1950年6月25日、北朝鮮の韓国侵攻をきっかけに朝鮮戦争が勃発する。3年余り続いた戦争は決着がつかず、1953年7月27日、休戦という形で終了した。朝鮮戦争の結果、南北の分断は決定的となり、1000万人とも言われる多くの家族が南北間で離れ離れになってしまった朝鮮戦争の休戦時に、国軍捕虜という離散家族問題が発生している。これは休戦協定発効後60日以内に、「収容中の捕虜の中で送還を希望する捕虜全員を送還する」と決められていたのにもかかわらず、北朝鮮側が韓国側に送還すべき捕虜の一部を返さなかったとされる問題である。

 再会事業は第1、2、3回まではソウル・平壌で同時に交換する方式がされていた。しかし、北朝鮮側の家族が韓国ソウルを訪問して南北の格差を知って動揺したり、北側離散家族が北朝鮮帰還後に家族・親戚に話すなどの事態が起きために以降の再会事業時には北朝鮮国内で行わった後に再教育しなおす方法が取られている。