ホリショウのあれこれ文筆庫

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第714話 在日朝鮮人の帰還事業

序文・為政者の責任

                               堀口尚次

 

 在日朝鮮人の帰還事業とは、1950年代から1984年〈昭和59年〉にかけて行われた在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義共和国〈以下、北朝鮮〉への集団的な永住帰国あるいは移住である。主として1959年から1967年にかけて、「朝鮮」籍約50万人弱のうち、北朝鮮に永住帰国したのはおよそ9万3,000人〈うち、北朝鮮に渡った『日本人妻』は約1,831人〉であった。

 在日韓国・朝鮮人は、1947年5月の外国人登録令では、日本国籍を有する〈出身地欄に「朝鮮」と記載〉とされた。1948年〈昭和23年〉に大韓民国が建国されると、外国人登録上「韓国」又は「大韓民国」の国籍表示を用いるよう要請した。そして、1952年〈昭和27年〉のサンフランシスコ講和条約発効により日本国から朝鮮半島の独立が法的に認められた後、日本在住の朝鮮半島出身者〈=朝鮮戸籍登載者〉は平和条約国籍離脱者として日本国籍を「喪失」した。

 日本政府が終戦1年半後の1947年〈昭和22年〉1月に北朝鮮帰還希望者を調査したところ1,413名にすぎず、実際に引き揚げた者は同年6月の時点で合計351名とさらに少なかった。在日朝鮮人のなかで北朝鮮出身者が少ないせいもあったが、在日の圧倒的多数が「朝鮮人連盟」に加入しており、当時の国際共産主義運動における「一国一党の原則」では、居住国との国籍が異なる場合、居住国の共産党に入党して活動することとなっていたことも、帰国者が少ない原因であったものと推定される。

 韓国の初代大統領李承晩は、日本にいた「同胞」の受け入れを拒否して、拿捕(だほ)して拘束した日本人漁師らと引き換えに同胞犯罪者を保釈させている。

 1950年頃、在日朝鮮人は、「日本革命」よりも「朝鮮革命」に参加するのが筋ではないかという「白秀論文」〈実際の著作者は北朝鮮本国の朝鮮労働党中央〉からの問題提起があり、1955年〈昭和30年〉5月、在日本朝鮮人総聯(そうれん)合会〈朝鮮総連〉が結成され、在日朝鮮人党員は全員日本共産党から離脱して金日成朝鮮労働党支配下に組み入れられた。在日朝鮮人社会は思想的に分裂したが、このとき考え出されたのが在日朝鮮人の帰国運動である。帰国運動を考え出したのは、金日成その人であった。

 在日同胞の帰国反対・受け入れ拒否する韓国政府と対照的に、日本にいる同胞を資金や技術源に使えると判断した金日成は積極的に在日同胞の統制に関与し、朝鮮学校の設立を推進。韓国とは対照的に接することで、同胞世論の多数派を北朝鮮支持へと誘導することに成功した。資金提供を施す代わりに朝鮮学校には民族主義と称して北朝鮮支持教育をさせ、在日同胞の中には北朝鮮朝鮮総連を支持する者がさらに増加した。現在韓国学校が少ない背景には、李承晩による、帰国反対/民族主義支持という矛盾した対在日同胞対策がある。

 日本政府は「帰国費用を負担するから希望者を帰国させたい」と相談したが、韓国はその後も民団に指示し、日本居留民という名目で帰国させない姿勢をとり続けた。東側諸国の一員として対立する立場にあった北朝鮮は、在日同胞の有用性に気づき、敢えての‟順次”受け入れ方式を日本側に提案した。この方式により、いまだ帰国していない親族に対し帰国した者を人質に取って、金銭や技術を北朝鮮へ送らせたり、対韓・対日スパイをさせたりすることに成功したのである。

 日本と北朝鮮には国交がなかったため、帰国にまつわる実務は、日本赤十字社〈日赤〉と朝鮮赤十字会〈朝赤〉の日朝両国の赤十字社によって行われた。1959年12月14日に最初の帰国船が新潟県の新潟港から出航したのを皮切りに、帰国事業は、数度の中断を含みながらも1984年まで続いた。

 計93,340人が北朝鮮渡航し、そのうち少なくとも6,839人は「日本人妻」「日本人夫」およびその被保護者といった日本国籍保持者だった。また在日朝鮮人には日本から地理的に近い朝鮮半島南部の出身者が多く、彼らにとっては、祖国ではあるが異郷への帰還となった

 帰国船の費用は北朝鮮政府が負担し、事業の後期には万景峰(まんぎょんぼん)号〈初代〉も使われている。日朝間を頻繁に往来する帰国船は、北朝鮮から朝鮮総連への指導・連絡をはじめ、日本・韓国への工作員送り込みといった諜報活動にも利用された。

 私は過日、NHKのBS1スペシャルで「北朝鮮への”帰国事業”」を視聴した。そこには、日本で差別〈在日朝鮮人〉され、北朝鮮に渡ってからも差別〈在日同胞〉され、北朝鮮から韓国に渡っても差別〈脱北者〉されたという数奇な運命を辿った男性が紹介されていた。まさに時代に翻弄された人生だが、為政者の責任は重大であり、殊に国家間に関わる政治はなおされであろう。