ホリショウのあれこれ文筆庫

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第789話 公平と平等

序文・機会と結果

                               堀口尚次

 

 平等とは、偏りや差別が無く、みな等しいこと。公平は、公に平らなこと、すなわち一定の集団において、偏らないということである。人間には、「先に手を出したもの勝ち」とか、偏り、えこひいき、仲間外れなどがつきものである。公平とは、義務履行の結果として、平らに報じるとの概念である。

 集団において「公平」を目指し、公平に物事を進めるためには、その集団における個の軽重に拠らない。従って、個人の利益を優先したり、個人の主観で判断することは避けなければならず、このため公平無私という概念も存在する。ちなみに、「この上なく公平であること」を意味する「至公至平」という言葉が存在するが、めったに使われない。その一方、集団や個人において、公平の否定形である不公平の概念も使用される。 東洋においての平等は、差別・不正・独占などを排し、履行しない者に対しても優遇せず、義務に準拠しない者に対しても偏りなく分け合う概念を表す場合が多い。

 「公に平等」という意味の公平であるが、実際には「平等」とは異なるものと言える。例えば、3個のリンゴを3人で分けるとき、1人1個ずつなら平等かというと、リンゴの大小や味などの要素があり、厳密には異なる。大きさについては、歳の順で年少からあるいは年長から大きいものをとっていくなどという決め方も考えられるが、味のほうは外見ではわからないので、結果が平等とは限らない。また、カステラを3等分する場合、もし金尺とノギスを使って厳密に測って3等分しようとしても、真ん中と端では異なる。そもそも、物差しがあってもふつうは目測で3等分することになる。厳密に3等分されることは期待できないので、おおよそ3等分だろうというところを切り、切らなかった人から好きなところを取っていくなどのやり方をしたり、あるいはじゃんけんで決めたりする。「私はカステラが嫌いだから2人で半分ずつにしてくれ」と1人が言う場合もあるだろう。いずれも、少なくともその場にいる3人が納得していれば、「平等よりは公平がふさわしい」場合と言える。

 ちなみに「平等」とは、元は仏教用語。物事のあり方が真理の立場から見ればすべて同一であること。平等院京都府宇治市〉の由来になっている。