ホリショウのあれこれ文筆庫

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第821話 ヨイトマケの唄

序文・自主規制という差別

                               堀口尚次

 

 「ヨイトマケの唄」は、美輪明宏が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。

 「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある岩を縄で滑車に吊るした槌を、数人がかりで引っ張り上げて落とすときのかけ声であり、美輪によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする。この仕事は主に日雇い労働者を動員していた。そして、楽屋のない銀巴里(ぎんパリ)〈東京銀座七丁目にあった日本初のシャンソン喫茶〉で出演後に客席に座っていた際に、東大の建築工学科に通う学生と知り合いになり、家族のために働く母と、いじめでグレそうになりながらも学びを続け、立派なエンジニアにまで上り詰める子供という一連の物語の着想元になった。

 作詞作曲を開始したきっかけは、興行主の手違いで行うことになった筑豊嘉穂劇場のコンサートである。当時きらびやかな衣装でシャンソンを歌っていた美輪は、炭鉱町でのコンサートに乗り気ではなかったのだが、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしている光景を見て衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と感じて、労働者を歌う楽曲を作ると決意したという。

 発表後間もなくして歌詞の中に差別用語として扱われる「土方(どかた)」「ヨイトマケ」が含まれている点などから、日本民間放送連盟により要注意歌謡曲に指定されて以降、原則として民法では放送されなくなる。この制度自体は1988年に効力を失ったが、最後に改訂された1983年の時点で指定されておらず、それ以前の状況は民放連側の記録がなく不明。しかしながら失効後もしばらくの間この制度の影響を受け続けることになる。1990年には美輪が『ぴりっとタケロー』〈TBS〉に出演する際にこの歌を披露する予定だったが、放送局のTBSから歌のカットを求められた。出演依頼があった際、美輪は歌なしの出演を希望したが、制作会社の強い希望で本曲を歌うことになった。ところが、放送日2日前に突然「歌はやめてほしい」という申し出を受ける。一方的に二転三転する申し出に美輪は憤慨し、出演自体を取りやめた。