ホリショウのあれこれ文筆庫

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第977話 「年魚市潟」と「あゆち水」

序文・愛知県と「あゆち」

                               堀口尚次

 

 年魚市潟(あゆちがた)とは、かつて現在の愛知県名古屋市の大半が干潟だった頃、鳴海から熱田にかけての干潟の名称

 古代の尾張国南東部〈現在の愛知県名古屋市熱田区から南区にかけての地域〉は「年魚市(あゆち)」と呼ばれていたとされ、この付近の海岸部が「年魚市潟」であった。「年魚市」の名は、律令制下で愛知郡として用いられ、さらに郡名が県名に継承されて現在の「愛知県」にも引き継がれている熱田神宮は海と陸の境目に鎮座していた。年魚市潟は広範囲に渡るため、鳴海潟など地域ごとに呼び名がある。

 当時の交通手段としては、陸路は鎌倉街道、海路は船の渡しで、熱田神宮から松巨島(まつこじま)、笠寺観音や村上社を参り、松巨島から野並方面へと渡った。

愛知県名古屋市南区の白毫寺(びゃくごうじ)境内には「年魚市潟勝景」という景勝地だったという石碑が建てられている。

 約7000年前の縄文海進〈海面が約7メートル上昇〉によって、入り江となり、年魚市潟となった。

 万葉集に「年魚市潟 潮干にけらし 知多の浦に 朝漕ぐ舟も 沖に寄る見ゆ」とある。7巻-1163の歌。他にも、高市連黒人(たかちのむらじくとひと)の「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」という歌があり、現在の南区桜本町あたりの年魚市潟で詠んだとされる。近辺には『鶴里駅』という名古屋市営地下鉄桜通線の駅名にも残る。 昭和48年白毫寺は展望地として名古屋市の名勝に指定。

 名古屋市瑞穂区師長町に「あゆち水」の遺跡がある。「あゆちの水〈伝承地〉」の説明書きによると『ここは「万葉集」巻十三に、「小治田(おわりだ)の 年魚道(あゆち)の水を 間(ひま)無くぞ 人は汲むとふ 時じくぞ 人は飲むとふ 汲む人の 間なきがこと 飲む人の 時じきがこと 吾妹子(わぎもこ)にわが恋ふらくは やむ時もなし」と詠まれた尾張名水の一つ、「小治田の年魚道の水」の所在地であるといわれている。』とある。こちらも「愛知県」の語源になったといわれている。

                   ※筆者撮影