ホリショウのあれこれ文筆庫

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第989話 異端の翼「震電」

序文・水平尾翼がない

                               堀口尚次

 

 震電(しんでん)は、第二次世界大戦末期に大日本帝国海軍が試作した局地戦闘機である。前翼型の独特な機体形状を持つため「異端の翼」と呼ばれた。最高速度400ノット〈約740 ㎞/h〉以上の高速戦闘機の計画で、昭和20年6月に試作機が完成、同年8月に試験飛行を行い終戦を迎えた。

 昭和17年から昭和18年頃、海軍航空技術廠〈空技廠〉飛行機部の鶴野正敬技術大尉は従来型戦闘機の限界性能を大幅に上回る革新的な戦闘機の開発を目指し、前翼型戦闘機を構想し、研究を行っていた。また、昭和18年、軍令部参謀に着任した源田実中佐は、零戦が既に敵から十分研究されているであろうと考え、零戦とは別に異なる画期的な戦闘機を求めて高速戦闘機を模索していたが、技術的に提案する知識がなかった。しかし、同じ考えを持つ鶴野の存在によって、震電の開発が動き出した。

 前翼型飛行機とは、水平尾翼を廃し主翼の前に水平小翼を設置した形態の飛行機である。従来型戦闘機ではエンジン、プロペラ、武装の配置が機体の前方に集中しており、操縦席後部から尾翼にかけての部位が無駄なスペースとなっていた。これに対し前翼機では武装を前方、エンジン及びプロペラを後方に配置することで機体容積を有効に活用でき、前翼自体も揚力を発生させることから〈通常機の水平尾翼は下向きに揚力を発生させる〉、主翼をコンパクトにすることが出来、全体的に機体をより小型にすることが可能となる。従って機体が受ける空気抵抗も減少し、従来型戦闘機の限界速度を超えることが可能となる、というのがその基本理論であった。

 初となる前翼型戦闘機の試みだったが、陸軍は昭和18年満州飛行機に対し九九式襲撃機の後継機となる推進式を採用したキ98の試作指示を行っていた。ただしキ98は双胴であり空戦より襲撃機としての能力が重視され、研究機としての性格も強かった。後に試作機整理の対象となり計画は中止された。

 昭和20年8月3日、九州飛行機テストパイロット操縦の試験飛行にて初飛行に成功。続く6日、8日と試験飛行を行ったが、発動機に故障が発生し三菱重工へ連絡をとって部品を取り寄せている最中に終戦となった。

 2022年7月から福岡県朝倉郡にある大刀洗平和記念館に、2023年公開の映画『ゴジラ-1.0』の撮影のために制作された実物大のレプリカが展示されている。