ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第988話 木戸番

序文・非人身分

                               堀口尚次

 

 木戸番(きどばん)は、江戸時代に江戸・京都・大坂をはじめとする城下町で町ごとに作られた木戸の番人

 江戸をはじめ、多くの城下には木戸が設けられており、夜は閉じられることになっていた。その木戸にはそれぞれ「番太郎」または「番太」と呼ばれる木戸番が2人いた。彼らは大抵が老人で、番小屋に居住していた。番太は、江戸時代に都市における夜警浮浪者の取り締まりや拘引、牢獄刑場などの雑用、処刑などに携わっていた人たちのことである。都市に設けられていた木戸に接した番小屋と呼ばれる粗末な家に住み、多くは非人身分であった。番太郎ともいう。

 木戸番は夜の四ツ時〈午後10時ごろ〉に木戸を閉めた。これは、盗賊や不審者の通行・逃走を防ぐためで、夜四ツ時以降、用事のある者は木戸番に改められた上で、木戸の左右にある潜り戸から通る決まりとなっていた。また、その際には必ず拍子木を打ち、その音が次の木戸番への「通行人がいる」という通達となった。これを「送り拍子木」と呼んだ。拍子木は通行する人数分だけ打ち鳴らし、拍子木の音が聞こえたにもかかわらず人が来ないような時は、人を出して町内を改めることになっていた。ただし、医師や産婆など、人の命に関わる急用のある者はそのまま通過できた。

 盗賊や狼藉者が現れ、そのための捕物、取鎮め等の場合は、時刻にかかわらず木戸を閉め、人の往来を止めた。また、物騒な時は大木戸を閉じ、小木戸を開いて用心をした。火の見櫓(やぐら)〈梯子櫓〉は木戸の側にあるため、火事があった時には半鐘を打つ役割もあり、夜毎に拍子木を打って夜警もした。それで、木戸番屋を「火の番屋」とも呼んだ。また火事の際には木戸番の妻が炊き出しをし、番太がそれをかついで火事場へと走り、将軍のお成りがあって警戒する時は、木戸番が金棒を引いて町中に触れ歩いたという。

 番屋は梁間6尺、桁行9尺、軒高1丈とし、棟高はこれに相応する高さと定められた。番人は住み込みで、妻子の無い者という決まりだったが、江戸時代も後期になると、番屋を拡げて妻子を住まわせたり、番人の職が株化されて売買されたりした。そのため、町奉行所でも取り締まったが、なかなか改まらなかったという。