ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1188話 幻の大須球場

序文・空襲焼失からの再建

                               堀口尚次

 

 大須球場は、昭和22年から昭和28年にかけて愛知県名古屋市中区大須にあった野球場。

 名古屋大空襲で焼失した本願寺名古屋別院〈西別院〉の再興と大須の発展のため、大須七ツ寺勤労協和会を中心に愛知県と名古屋市の協力も得て境内に開設。

 センターからレフト、ライトは膨らみがなく一直線になっており、フェンスが低いため非常に本塁打が出やすい球場であった〈『巨人軍5000勝の記憶』で千葉功は「いわば『校庭グラウンド』」と表現している〉。プロ野球公式戦以外にもノンプロや高校、軟式の野球場として利用、女子プロ野球も行われた。オートレースやダンスパーティーなどにも使用されていた。収容人員は1万人。球場主には大須七ツ寺勤労協和会会長の高島三治が就いた。

 昭和22年 - 大須二子山古墳および空襲で焼失したの本願寺名古屋別院〈西別院〉跡地に建設される。

 昭和23年 - プロ野球公式戦が行われる。昭和25年- 前年の2リーグ分裂騒動により、パシフィック・リーグの名古屋遠征時の公式戦用球場となる。以後、1952年までに20試合前後が行なわれたという。

 昭和27年7月7日 - 大須事件が発生。大須事件または大須騒擾事件とは、昭和27年7月7日に愛知県名古屋市中区大須で警察部隊とデモ隊が激しく衝突した事件。騒乱罪の成立が裁判所で認められた公安事件である。

 昭和28年1月30日 - 経済的な行き詰まりで閉鎖を決定。

 スタンド等の施設はその後解体・撤去され、球場の敷地も事業主〈個人〉から浄土真宗本願寺派西本願寺〉に返還された。球場跡地には、戦災で焼失した本願寺名古屋別院〈西別院〉が再建される。

 また同跡地に名古屋スポーツセンターが建設され、伊藤みどり安藤美姫中野友加里浅田舞・真央姉妹ら、フィギュアスケートの有力選手を多数輩出する。