ホリショウのあれこれ文筆庫

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第937話 名古屋・大須・万松寺

序文・織田家と徳川家にゆかり

                               堀口尚次

 

 萬松寺(ばんしょうじ)〈万松寺〉は、愛知県名古屋市中区大須にある単立〈無宗派〉の寺院。

 山号は亀嶽林(きがくりん)。本尊は十一面観世音菩薩。織田信長徳川家康をはじめとする戦国武将との縁が深く、名古屋の歴史的観光名所にもなっている。

 天文9年、織田信秀〈信長の父〉により織田氏菩提寺として那古野(なごや)の南側に建立された。開山には信秀の叔父にあたる雲興寺第8世・大雲永瑞和尚が迎えられた。当時は現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にまたがる広大な寺領を持っていたが、慶長15年、名古屋城を築く際に小林邑(こばやしゆう)〈小林村=現在の大須3丁目〉に移建した。移転後も尾張徳川家朱印寺として篤く信仰され、慶安4年には徳川義直尾張藩初代藩主・徳川家康の九男〉の正室・高原院(こうげんいん)〈春姫=亜相源(あそうみなもと)敬公大夫人※亜相は大納言の唐名〉の御霊屋(おたまや)〈霊廟〉を建立している。

 明治37年、シャム国から日本に分骨された仏舎利覚王山日泰寺無宗派〉に運ばれた際には、萬松寺から行列が出発している。

 大正元年に第37世大円覚典和尚が寺領の山林の大部分を開放することを決断する。こうして開拓された町は現在の大須3丁目となり、萬松寺は再び賑わいを取り戻すこととなった。

 大正3年、高原院御霊屋は尾張徳川家菩提寺である建中寺(けんちゅうじ)へ移築される。この御霊屋は昭和29年に名古屋東照宮に移築されてその本殿となっている。しかし、昭和20年3月12日の名古屋大空襲で当寺は全焼し、大須も焦土と化した。戦後、不動堂と稲荷堂は再建できたが、長らく本堂は再建されることはなかった。

 しかし、平成6年4月、ついに本堂が地下1階、地上5階建ての鉄骨鉄筋コンクリート造の建築物として再建された。大須一帯の大地主でもあり、万松寺ビルなどを保有している。平成28年曹洞宗との被包括関係を廃止して単立寺院となった。平成29年には、平成27年から行われていた不動堂および稲荷堂の建て替え工事が完了し、新諸堂「白龍館」としてオープンした。

 織田信秀の葬儀の際に嫡男の織田信長が位牌に抹香を投げつけた事件は、大須に移る前の萬松寺が舞台である

 竹千代〈後の徳川家康〉は6歳で証人〈人質〉として今川義元の元に送られる途中で信秀に引き渡され、この寺で9歳まで過ごしたと伝わる。

※万松寺の織田信秀公墓碑(筆者撮影)