序文・中日ドラゴンズと共に
堀口尚次
名古屋港(みなと)線は、日本貨物鉄道〈JR貨物〉が保有する山王信号場 - 名古屋港(みなと)駅間の東海道本線貨物支線の通称である。東臨港線、臨港線、名古屋港臨港線などとも呼ばれる。
名古屋港(こう)周辺に建設された貨物支線のうち、最も古い歴史を持つのがこの路線である。明治44年に名古屋駅を起点として、名古屋港で船との提携による貨物輸送を行うために建設された。後には、名古屋市場駅〈名古屋市中央卸売市場への輸送〉への貨物支線や堀川口駅までの延伸もなされ、昭和半ばまで貨物輸送で賑わいを見せることになった。
しかしJRの前身である日本国有鉄道〈国鉄〉での貨物輸送の衰退に伴い、山王信号場 - 名古屋港駅間以外の区間はすべて廃止され、名古屋港駅そのものの設備も縮小し、現在では週に3往復レールを輸送するための列車が走るだけの路線となっているが、令和5年9月19日、JR貨物は名古屋港線の第1種鉄道事業廃止を国土交通省に届け出た。廃止予定日は翌令和6年4月1日。廃止理由として、今般、名古屋港駅での貨物取扱がなくなる見通しとなったためとしている。
当路線での旅客輸送は、開業から2か月間だけ実施された後は散発的に行われた。昭和12年の名古屋汎太平洋平和博覧会に際して臨時駅の名古屋博覧会前駅を設置し、名古屋駅との間にシャトル列車を運行した。太平洋戦争中の昭和17年に定期の旅客輸送が再開されたが、戦争末期の昭和19年いっぱいで再び廃止された。昭和30年代には貨物列車の後部に旅客車を増結し、混合列車として沿線にある中日スタヂアム〈→ナゴヤ球場〉への観客輸送を行った事があり、東海旅客鉄道〈JR東海〉が発足した昭和62年から平成6年の間にも、同社が第二種鉄道事業者免許を収得してナゴヤ球場近くにナゴヤ球場正門前駅と呼ばれる臨時駅を建設し、同線に観客輸送のための臨時列車を設定した事がある。
ナゴヤ球場正門前駅は、かつて愛知県名古屋市中川区露橋二丁目にあった、東海旅客鉄道〈JR東海〉東海道本線貨物支線〈名古屋港線〉の駅〈廃駅〉である。ナゴヤ球場の野球観戦者の便を図って設置されていた臨時駅であった。
ナゴヤ球場から徒歩1分の所を通る貨物線〈通称:名古屋港線〉に設けられた臨時駅。当駅は東海道新幹線の高架脇にあり、東海旅客鉄道〈JR東海〉は同線と球場前の道が交差する所〈廃駅後は踏切となった〉から南側にかけて、長さ135 mの6両編成が停車可能なプラットホームを設置した。名古屋鉄道〈名鉄〉名古屋本線のナゴヤ球場前駅〈現:山王駅〉から球場へは徒歩で10分程度を要していたため、利便性ではこちらが上であった。
なお、名古屋港線は東海道本線の支線という扱いではあるが、名古屋港線の分岐点である山王信号場が中央本線上にあるという性格上、当駅行きの列車は中央本線を通らなければならなかったため、名古屋駅から当駅行きの臨時列車の標示は中央本線の発車標上に表示されていた。臨時駅ということもあって、ホームは新幹線高架に接する側に片面のみ、鉄骨で組んだという簡素なものであった。行きは名鉄で来たが、帰りはJRに切り替えるような旅客への対応策としてきっぷ売場も設置されていたが、期間限定の臨時営業であるためレンタルのニッケンから借りたプレハブ窓口で手売りしていた。
現在、中日ドラゴンズのホームグラウンドは名古屋市東区にあるナゴヤドームとなっているが、それが完成する平成8年までは名古屋駅 - 金山駅間で東海道新幹線・東海道本線・中央本線・名鉄名古屋本線などから眺められる中川区のナゴヤ球場であった。名鉄では、昭和19年に開業した名古屋本線上にある山王駅を昭和31年 - 昭和49年の間「中日球場前駅」、昭和50年 - 平成17年の間「ナゴヤ球場前駅」と改称し、試合開催日には特急・急行電車を臨時停車させるなどして輸送に努めていた。
昭和62年4月1日に国鉄分割民営化によって発足した東海旅客鉄道〈JR東海〉では、名鉄線より球場に近いところを通っている日本貨物鉄道〈JR貨物〉の名古屋港線〈貨物線〉の第二種鉄道事業を取得してこの旅客輸送に加わろうと考えた。これは、同年のシーズン入り前に、落合博満が日本プロ野球界初の1億円プレーヤーとして中日入団を決めていたことも契機となったと考えられる。
【私見】こうして中日ドラゴンズのホームグラウンドが、ナゴヤドームに移転した平成8年まで「幻のJR名古屋球場正門前駅」が存在したのだ。筆者は利用したことはなく、名鉄の「今は無き名称の中日球場前駅」の記憶が残るのみだ。そして来年春にはJR貨物の名古屋港線も廃止となるのだ。どこか寂しい。