ホリショウのあれこれ文筆庫

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第25話 泣いた赤鬼

序文・「泣いた赤鬼」を読んで泣いたのが私でした。青鬼のようなカッコいい立ち振る舞いができる大人に成長しただろうか。自問自答してみた。

                               堀口尚次

 

 日本の昔話や児童文学には「泣いた赤鬼」「ごんぎつね」「笠地蔵」などの秀作があり、海外にも「フランダースの犬」など不朽の名作がある。

 「泣いた赤鬼」は、はじめは「鬼の相談」という題名だった。浜田広介の代表作で、学校教科書にも採用され、昭和8年発表とある。どうりで、文体が古臭い気がしたが、当然であった。最後に出て来る青鬼が書き残した手紙が「カタカナ表記」であることも郷愁を誘う。この「泣いた赤鬼」の教訓は、『人は、自分は一体何者かを考える事によって、自分を作っていくという事と、近くにある大事なものを忘れてはいけないという事だ』と解説する人がいた。赤鬼は最後に泣きます。赤鬼は何を思って泣いたのだろう。私は今でも、あの最後の置手紙を読むと涙腺が緩む。

 「ごんぎつね」は、知多半島・半田出身の新美南吉の代表作。大正2年生れの南吉は、宮沢賢治にも影響を受けていた。きつねの恩返しを描いたこの物語は、『無償の愛(善行の美徳)や報恩の心の大切さ』を「ごんきつね」という動物を通して描きたかったのでないだろうか。そして、兵十(ひょうじゅう・主人公)の母を失った悲しみと、殺生をしてしまった人間の業みたいなものも。自分が撃った「ゴン」を見てうなだれる兵十と、「今まで色々運んできたのは、僕だったんだよ。」というゴンの思いが、兵十には届いていたと思いたい。

 「笠地蔵」は昔話であり、名古屋市南区笠寺観音との関係もあるようだ。親切を施した無欲な善行者に、思いがけない福運が謝礼としてもたらされるという話だ。私の母親曰く、この話を聞いた幼少の私が泣いていたという。泣いた訳の記憶は無いが、自分も貧乏なのに、雪の中に佇むお地蔵さんを可哀想に思ったおじいさんの行為に感動したんだろうか。今となっては不明だ。

 「フランダースの犬」は、イギリスの作家が書いた児童文学だが、舞台はベルギーだ。貧困の主人公・ネロと愛犬・パトラッシュとのふれあいを描いた物語だが、その結末はあまりにも可哀想すぎる。最後に、ネロとパトラッシュが天使たちにより天に召されていく場面は、涙亡くしては観られない。作中に登場するルーベンスの絵画「キリストの昇架」が聖母大聖堂に掲げられているが、物語の悲運と、キリスト教的なこととの何か結び付きはあったのだろうか。

 こうして4作品を回想してきたが、共通するのは『悲しみ自体は辛い事だが、現実は受け止めるしかない。悲しみを乗り越えて行く先に未来がある。』と感じた。今は、幼少期に感じ取った感性とは、全く違う感覚で見て取れる。ただ、これらの文学は、幼少期には必要な感性を芽生えさせてくれることだろう。

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