ホリショウのあれこれ文筆庫

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第105話 石原莞爾(かんじ)という軍人

序文・陸軍中将で軍事思想家といわれた軍人がいたが、東京裁判では裁かれていない。

                               堀口尚次

 

 日本の陸軍軍人、軍事思想家。最終階級は陸軍中将。位階勲等功級は正四勲一等功三級。主著に『世界最終戦論』→〈ヨーロッパ戦争史の研究と田中智学(宗教家・日蓮主義)の講演からこれを構想、日米決戦を前提として満蒙の領有を計画した。関東軍参謀であった石原はこのイデオロギーに基づいて柳条湖事件を起こし、これを中国軍のしわざとして軍事行動を開始したことが満州事変となった。〉関東軍作戦参謀として、柳条湖事件満州事変を起こした首謀者であるが、後に東条英機との対立から予備役に追いやられ、病気及び反東條の立場が寄与し戦犯指定を免れた。

 満州事変をきっかけに行った満州国の建国では『王道楽土〈アジア的理想国家(楽土)を、西洋の武による統治(覇道)ではなく東洋の徳による統治(王道)で造る〉』『五族協和〈民族協和〉』をスローガンとし、満蒙領有論から満蒙独立論へ転向していく。日本人も国籍を離脱して満州人になるべきだと語ったように、石原が構想していたのは日本及び中国を父母とした独立国(「東洋のアメリカ」)であった。しかし、その実は、石原独自の構想である最終戦争たる日米決戦に備えるための第一段階であり、それを実現するための民族協和であったと指摘される。さらには関東軍に代わって満州国協和会による一党独裁制を確立して関東軍から満州国を自立させることも主張していた。

 参謀長の東條英機満州国に関する戦略構想を巡って確執が深まり、石原と東條の不仲は決定的なものになっていった。石原は満州国満州人自らに運営させることを重視してアジアの盟友を育てようと考えており、これを理解しない東條を「東條上等兵」と呼んで馬鹿呼ばわりにした。これには、東條は恩賜の軍刀軍学校で成績優秀なものに授けられる軍刀を授かっていない(石原は授かっている)のも理由として挙げられる。以後、石原の東條への侮蔑は徹底したものとなり、「憲兵隊しか使えない女々しい奴」などと罵倒し、事ある毎に東條を無能呼ばわりしていく。一方東條の側も石原と対立、特に石原が上官に対して無遠慮に自らの見解を述べることに不快感を持っていたため、石原の批判的な言動を「許すべからざるもの」と思っていた。結局、東條の根回しにより石原は、太平洋戦争開戦前に現役を退いて予備役へ編入された。これ以降は教育や評論・執筆活動、講演活動などに勤しむこととなる。

 東京裁判の証人として山形県の出張法廷に出廷した石原は、満州事変は「支那軍の暴挙」に対する関東軍司令官の命令による自衛行動であり、侵略ではないという持論を主張した。病状で出張法廷に出廷するためのリヤカーを引いていたのが極真会の大山倍達だといわれている。押忍。

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