ホリショウのあれこれ文筆庫

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第115話 幸徳秋水事件とは

序文・社会主義者無政府主義者と僧侶を結び付けたものは、いったいなんだったのだろう。

                               堀口尚次

 

 幸徳秋水(こうとくしゅうすい)事件とは、大逆事件の一つであり、明科事件を発端に明治天皇の暗殺を計画したとして、全国の社会主義者や無政府主義者を逮捕・起訴して死刑や有期刑判決を下した政治的弾圧事件である。大逆事件とは、天皇、皇后、皇太子等を狙って危害を加えたり、加えようとする罪、いわゆる大逆罪が適用され、訴追された事件の総称。政府による政治的弾圧に利用された。

 信州の社会主義者の宮下太吉 が明科製材所で爆発物取締罰則違反容疑で逮捕されたことにより明るみになった、宮下ら四名による明治天皇暗殺計画。宮下は明科製材所で爆裂弾を製造、爆破実験をおこなった。『明和事件

 明科事件を口実として、政府のフレームアップ『政治的でっち上げ』により、幸徳秋水をはじめとする多数の社会主義者無政府主義者の逮捕・検挙が始まり、証拠不十分なまま明治44年に死刑24名、有期刑2名の判決。幸徳秋水

12名の死刑が執行された。5人は特赦無期刑で、無期懲役中に獄死した。

 秋水は審理終盤に「一人の証人調べさえもしないで判決を下そうとする暗黒な公判を恥じよ」と陳述した。第二次世界大戦後、関係資料が発見され、暗殺計画に関与したとされていたのは秋水以外の4名だけであったことが判明した。

 社会主義運動はこの事件で、数多くの同志を失い、しばらくの期間、運動が沈滞することになった。

 また、秋水が法廷で「いまの天子は、南朝の天子を暗殺して三種の神器をうばいとった北朝の天子ではないか」と発言したことが外部へもれ、南北朝正閏(せいじゅん)論〈南北朝時代南朝北朝のどちらを正統とするのか〉が起こった。帝国議会衆議院国定教科書南北朝併立説を非難する質問書が提出され、議会は南朝を正統とする決議を出す。

 また上杉慎吉天皇主権説〈主権が天皇に存ずるという解釈、学説〉を発表した一方、美濃部達吉天皇機関説統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼(ほひつ)=天皇への進言     を得ながら統治権を行使する〉を主張し、当時の大学周辺では美濃部の天皇機関説が優勢になったが、のち天皇主権説が優勢になる。馬蹄銀事件〈清国の馬蹄銀という銀塊を、派遣部隊が横領した事件で、日本軍は自軍が綱紀が正しかったことを内外に喧伝したが、実際はそうではなかったことを新聞記者の幸徳秋水らが厳しく追及した〉で秋水らを疎(うと)ましく思っていた山縣有朋はのちロシア革命が勃発してからは極秘で反共主義政策を進め、上杉の天皇主権説を基礎にした国体論が形成されていく。

 幕末の水戸藩の学者・思想家の藤田東湖や会沢正志斎が中枢となった水戸学が「忠君愛国」を提唱し、「攘夷」「尊王」という考え方を打ち出した。水戸学の「将軍より天皇の方が上位である」という思想戦によって明治維新が成し遂げられたのであるから、明治維新の元勲たちからすれば、水戸学を否定することはできない。水戸学が教えるのが「南朝正統」説。後醍醐天皇南朝こそ正統の天皇であり、北朝天皇は偽物であるという教えであった。

 明治政府が担いでいる明治天皇は明らかに北朝の子孫である。水戸学が主張するように「南朝の子孫が真の正統である」とすると、たしかに幸徳秋水の主張の通り、明治天皇は偽物ではないかという議論が成立してしまうのである。

 こうして明治の終りに起きた、社会主義者無政府主義者の弾圧は、仏教界にも影響を与えている。

 高木顕明(けんみょう)は、真宗大谷派の浄泉寺の僧侶であるが、幸徳秋水事件の被告の一人である。日露戦争では日本でも数少ない非戦論者の一人であり、公娼制度にも反対し、次第に社会主義に接近していった。、幸徳秋水の談話会を浄泉寺で開催したことから幸徳事件(大逆事件)の関与を疑われ逮捕される。当初、死刑判決に処されたが、後に無期懲役減刑された。真宗大谷派から除籍(僧籍削除)の処分をされ、この時の処分は家族にも及び、一家が寺から退去させられる重いものであった。後の秋田刑務所で服役中に自殺。

 この他にも曹洞宗臨済宗の僧侶で、社会主義思想家として活動し、幸徳秋水事件に連座しているものもいる。社会主義・民主主義・無政府主義と仏教との共通点は、どこにあったのだろう。これらの僧侶らは、部落差別の解消に取り組んだり、また非戦の立場から日露戦争にも反対していた。平等と非戦(平和)の思想を貫いた人である。この頃の仏教の各宗派は、明治政府が掲げる国家神道を背景に教団の存続が脅かされていたと思われる。この為、真宗大谷派)に限らず、曹洞宗臨済宗なども国家に追随する道を選び、戦争にも積極的に協力していたようだ。(神道はもとよりキリスト教会なども国家に迎合していたようだ)このような時代に平等と非戦を貫くことがいかに困難であったかは想像に難くない。

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幸徳秋水