ホリショウのあれこれ文筆庫

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第157話 元伊勢は伊勢神宮のふるさと?

序文・いくつか巡りましたが、倭姫命には会えなかった。

                               堀口尚次

 

 元伊勢(もといせ)は、三重県伊勢市に鎮座(ちんざ)する伊勢神宮「皇大(こうたい)神宮〈内宮〉と豊受大(とようけだい)神宮〈外宮〉」が、現在地へ遷(うつ)る以前に一時的にせよ祀(まつ)られたという伝承を持つ神社・場所

 伊勢神宮内宮の祭神・天照大御神(あまてらすおおみかみ)は皇祖神(こうそしん)〈皇室の祖とされる神〉であり、第10代崇神(すじん)天皇の時代までは天皇と『同床共殿(どうしょうきょうでん)〈天皇天照大御神と認めると言う作業は、天照大御神そのものになる事であり、そしてその三種の神器(じんぎ)の鏡は常に天皇の側(そば)にある〉』であったと伝えられる。すなわちそれまでは皇居内に祀られていたが、その状態を畏怖(いふ)した同天皇が皇女・豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)にその神霊を託して倭国(わこく)笠縫邑(かさぬいむら)磯城の厳橿(いつかし)〈けがれを避け清められた神聖な樫(かし)の木〉の本に「磯堅城の神籬(ひもろぎ)〈神道において神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、臨時に神を迎えるための依り代となるもの〉」を立てたことに始まり、更に理想的な鎮座地を求めて各地を転々とし第11代垂仁(すいにん)天皇の第四皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)がこれを引き継いで、およそ90年をかけて現在地に遷座したとされる遷座(せんざ)の経緯について、『古事記』ではこれを欠くが、『日本書紀』で簡略に、『皇大神宮儀式帳(ぐうぎしきちょう)』にやや詳しく、そして中世の『神道五部書』の一書である『倭姫命世紀』において、より詳しく記されている。

 外宮の祭神である豊受大御神(とようけびめ)は、『古事記』『日本書紀』に記載を欠いている状況であるものの、『止由気(とゆけ)宮儀式帳』や『倭姫命世記』によれば、第21代雄略(ゆうりゃく)天皇の時代に天照大御神の神託(しんたく)〈神の意を伺う〉によって丹波国丹後国〉から遷座(せんざ)〈神を他の場所に移す〉したと伝えられている。

 天照大御神が遍歴する説話は、『常陸国風土記』の筑波山の話に登場する祖神や民間説話の弘法大師伝説に類するものとされる。一般の神社の縁起でも鎮座地を求めて神が旅する話は多いので、「旅する神」の典型的な類型であるとされる。

 元伊勢伝承は『皇太神宮儀式帳』・『止由氣宮儀式帳』や、『古語拾遺』、『延喜式』などの所伝から派生しているが、詳細な伝承地については不明な点が多く、以前は二十数箇所とされていたものが現在では六十箇所を超える。これらは各地の神社に伝わる伝承が元となっており、中には近隣で伝承地を唱えるものもあるなど、伝承地の真偽のほどについては不明である。

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