ホリショウのあれこれ文筆庫

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第860話 人身御供

序文・神への生贄

                               堀口尚次

 

 人身御供(ひとみごくう)とは、人間を神への生贄(いけにえ)とすること。人身供犠(じんしんくぎ)とも。また、生贄の「贄(にえ)」は神や帝(みかど)に捧げる鳥・魚・新穀などの食物の意味である。転じて比喩的表現として、権力者など強者に対して通常の方法ではやってもらえないようなことを依頼するため、もしくは何らかの大きな見返りを得るために、理不尽にもかかわらずその犠牲になることに対しても使われている

 人身御供の行為は、特にアニミズム〈生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂もしくは霊が宿っているという考え方〉文化を持つ地域の歴史に広く見られる。人間にとって、最も重要と考えられる人身を供物として捧げる事は、神などへの最上級の奉仕だという考え方からである。災害においては、自然が飢えて生贄を求め猛威を振るっているとして、大規模な災害が起こる前に、適当な人身御供を捧げる事で、災害の発生防止を祈願した。

 山がちな日本の国土では、河川は急流が多く、たびたび洪水を起こす。古代人はこれを、河川のありようを司る水神が生贄を求めるのだと考えた。龍神伝承では、直接的に龍に人身を差し出したと伝えられるが、実際には洪水などの自然災害で死亡する、またはそれを防止するために河川に投げ込まれる、人柱(ひとばしら)として川の傍に埋められる等したのが伝承の過程で変化して描写されたと考えられている。

 これらは後に人身を殺害して捧げる行為が忌避されるにつれ、人の首〈切り落とされた頭〉に見立てて作られた饅頭や、粘土で作った焼き物等の代用品が使用されたり、または生涯を神に捧げる奉仕活動を行うという方向に改められるなどして、社会の近代化とともに終息していった。

 その一方で、近代から現代に掛けても悪魔崇拝集団自殺等により、人身を捧げる儀式も発生し、社会問題化する事がある。前者の悪魔崇拝では、中世ヨーロッパの魔女狩りで流布されたサバトの描写中で、赤ん坊を悪魔に捧げたとする伝承が、「悪魔を崇拝するのに必要な儀式」として解釈されたのだと考えられれている。後者の宗教に絡んだ集団自殺行為では、供物として神に捧げられるというよりも、死ぬ事で理想化された死後世界に到達する〈人民寺院集団自殺事例など〉という事例が見られる。