ホリショウのあれこれ文筆庫

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第218話 不寛容社会と言論の自由 

序文・自粛警察の背景に何が

                               堀口尚次

 不寛容社会とは、自分の主義・信条と合わない行動を取る他人を叩いたり批判したり、さらには人格否定まで行う人が増えた社会のことである。個人の発言力が大きくなったSNS普及後(特に2010年代後半以降)に大きな問題となっている。不寛容な人は特に社会規範について過度に厳格な解釈を行い、寛容的な態度を装って針小棒大な表現で攻撃することが多く、その場合は攻撃対象となった人にとって反論しにくく、反論すれば更なる応酬や晒し上げにあう事もある。あるいは、公の場で謝罪しても社会的に排除されるまで誹謗中傷が続けられる。攻撃的な態度で他人に接する人が増えると、数多くの紛争が発生し、社会全体の萎縮に伴う経済活動縮小という不利益を被ることになる。また、こうした風潮の社会では、身勝手な正義感による制裁が増えるため、侮辱や名誉棄損や暴行と言った犯罪の増加に繋がることもある。

 一説にはマスメディアの不寛容な態度や、SNSの急速な発展がその背景にあると考えられている。しかし、日本における不寛容の場合は、日本国民の国民性が元々短気で陰湿だったとの主張もある。不寛容の進行により、営業妨害に繋がったり、自殺者も出るようになった。SNSにおける炎上や誹謗中傷が特に問題となっており、発言相手の社会的地位を著しく低下させたり、生命を脅かしたりするような、一線を超えた行動に対しては刑法の厳罰化も議論されている。

 言論の自由表現の自由の根幹をなすと考えられ、今では国際人権法で保護され世界人権宣言第19条、市民的及び政治的権利に関する国政規約(国際人権B規約自由権規約)にも規定されている。

 表現の自由における言論の自由と出版の自由との関係であるが、本来、「言論」は音声による表現、「出版」は主に文字による表現であるが、広く「言論の自由」と表現されることもあり、言葉を通しての表現の自由は「発言の自由」と呼ばれることもある。

 典型的な自由主義的な信念によれば、各人の自発的な表現が総体として互いに他を説得しようと競い合う「思想の自由市場」を形成し、その自由競争の過程で真理が勝利し、真理に基づいて社会が進歩すると説かれる(思想の自由市場論)。正しい知識と真理は、各人の自発的言論が「思想の自由市場」へ登場し、そこでの自由な討議を経た結果として得られるものと考えられることから、表現の自由は、真理への到達にとって不可欠の手段であるとみる。

 これらの問題の解決は人間社会では出来ないと思う。不寛容であることと、言論の自由は、人間の生活に密着しており、人それぞれの価値観に直結している。現状の道徳教育より、戦前の修身教育のような視点も必要だと思う。

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