ホリショウのあれこれ文筆庫

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第486話 柳条湖事件・日本陸軍関東軍の陰謀

序文・軍部暴走の始まり

                               堀口尚次

 

 柳条湖(りゅうじょうこ)事件は、満州事変の発端となる鉄道爆破事件。

昭和6年、民国20年9月18日、満州〈現在の中国東北部〉の奉天〈現在の瀋陽市〉近郊の柳条湖付近で、中国兵が日本の南満州鉄道を破壊し、日本の鉄道守備隊がこれに反撃を加えたという事件である。

 実際には大日本帝国関東軍南満州鉄道満鉄〉線路を爆破した事件である。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事展開およびその占領の口実として利用した

 日本では一般的に、太平洋戦争終結に至るまで、爆破は中華民国の張学良〈関東軍に暗殺された張作霖の息子〉ら東北軍の犯行と信じられていた。しかし、実際には、関東軍の部隊によって実行された謀略事件であった。※張作霖爆殺事件も中華民国国民革命軍の仕業に見せかけた関東軍による謀略事件

 事件の首謀者は、関東軍高級参謀・板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀・石原莞爾(かんじ)中佐である。二人はともに陸軍中央の研究団体である一夕会の会員であり、張作霖爆殺事件の計画立案者とされた河本大佐の後任として関東軍に赴任した。

 柳条湖事件満州事変へと拡大し、若槻内閣による不拡大方針の声明があったにもかかわらず、関東軍はこれを無視して戦線を拡大、1931年11月から翌1932年〈昭和7年〉2月までにチチハル・錦州・ハルビンなど満州各地を占領した。その間、若槻内閣は閣内不一致で1931年12月に退陣、かわって立憲政友会犬養毅が内閣を組織した。関東軍満州より張学良政権を排除し、1932年3月には清朝最後の皇帝宣統帝であった愛新覚羅(あいしんかくら)溥儀(ふぎ)を執政にすえて「満州国」の建国を宣言した

 一般の日本国民は、満州事変における関東軍の行動を熱狂的に支持した。当時の児童の作文などからは、沸き上がってくる軍国熱とともに不安や緊張も綴られている。当時、中国側の無抵抗方針や現地の奉天総領事の判断や見解は一切報道されておらず、その点ではマスメディアの報道のあり方にも問題があった。