ホリショウのあれこれ文筆庫

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第617話 コンピューター付きブルドーザー田中角栄

序文・ま~この~

                               堀口尚次

 

 田中角栄大正7年 - 平成5年は、日本の政治家・実業家・建築士。 血液型はB型。

 衆議院議員郵政大臣、大蔵大臣、通商産業大臣自由民主党総裁内閣総理大臣を歴任した。自民党内最大派閥の田中派を率い、日本列島改造論を計画・実行し、他にも様々な政策を成し遂げたことでも有名であり、今太閤や影の総理など呼ばれ多大な影響力をもった政治家として知られる。

 自民党最大派閥の田中派木曜クラブ〉を率い、巧みな官僚操縦術を見せる田中は、党人政治家でありながら官僚政治家の特長も併せ持った稀な存在だった。次世代のリーダーの一人として自民党総裁の座を狙っていた頃は、その膨大かつ明晰な知識と、徹底してやり抜く実行力から「コンピュータ付きブルドーザー」と呼ばれていた。

 大正生まれ初の内閣総理大臣であり、在任中には日中国交正常化日中記者交換協定金大中事件、第一次オイルショックなどの政治課題に対応した。政権争奪時に掲げた日本列島改造論による日本列島改造ブームは一世を風靡したが、その政策はインフレーションを招いてこれを狂乱物価と批判していた政敵の福田 赳夫を蔵相に抜擢して日本は安定成長期に入った。その後の田中金脈問題によって首相を辞職、さらにアメリカ合衆国の航空機製造大手ロッキード社の全日本空輸への航空機売込みに絡んだ贈収賄事件、いわゆる「ロッキード事件」で逮捕・収監され、自民党を離党した。

 首相退任後やロッキード事件による逮捕後も田中派を通じて政界に隠然たる影響力を保ち続けたキングメーカーだったことから、マスコミからは「〈目白の〉闇将軍」の異名を取った。昭和47年に総理大臣になると、高等教育を受けていないにもかかわらず努力一筋で首相にまで上り詰めた経歴から「今太閤」、「庶民宰相」、「豊臣秀吉」とも呼ばれた。また、天下人の太閤秀吉になぞらえ子飼いの武将の「七本槍」を彷彿とさせることから、中堅幹部は「七奉行」とマスコミに表現された。

 さながら戦国大名のようだが、元陸軍上等兵の田中は、騎兵として満州を従軍している。案外、日中友好の礎はこのころに根ざしてしるのかも知れない。