ホリショウのあれこれ文筆庫

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第732話 大府発祥の地・大清水地蔵

序文・都落ちした公家

                               堀口尚次

 

 愛知県大府(おおぶ)市桃山町に「大清水地蔵」なる地蔵堂がある。大府市の民話に「七津大夫(ななつたゆう)」という話しがあり、関連があるようなので、現地を訪れて設置の「大清水地蔵様の由来」を確認した。それによると『大府市を南北に貫通する大浜街道〈県道名碧線〉を南下、追分の地点を過ぎると左方高台〈六果園地内〉のわずかに残った松林の陰に延命地蔵尊が見える。今は、二万台に近い車の往来を俯瞰(ふかん)している。その下、今も清冽(せいれつ)な清水が湧出(ゆうしゅつ)。往時は大量の清水が出たところから大清水と呼ばれた。この大清水は大府発祥の地であるといわれている。領土争奪の戦国乱世の端緒(たんちょ)となった応仁・文明の大乱〈1467-1477〉に朝廷の高位、高官はひそかに都落ちし難を避けた。大府にも七津大夫というものが、原の大清水に七津屋敷という御殿を設けて居住した。大夫は常に烏帽子(えぼし)、直垂(したたれ)で挙動(きょどう)温雅(おんが)、風格があって近郷近在を謡(うた)い、祈祷(きとう)し、社寺を巡行した。土地の人々は大夫さまと尊称していた。以後大夫の徳を慕って大夫を村名にしたといわれる。延命寺の元禄七年の古文章に「当時大清水の下七津屋敷に滝本中納言と申す公家衆居られ候申伝へ候」とあっていにしえから滝本中納言と七津大夫とを同一人としている。この地の地蔵様を最初にまつられたのは七津大夫の頃であったかもしれないが、現在の地蔵尊は明和四年〈1767〉四月二日に建立したものである。昔から土地の人々はもちろん、往来する旅人の参詣の霊地であり、憩いの場所であった。〈大夫風土記〉』とある。

 また、大府の民話によると『大府の地名の由来は、七津太夫にちなんだ大夫が、「大符」となり、やがて、「大府」になったといわれています』とある。

 また、大府市のHPによると『大府は、「大夫」「大部」「大符」と書かれていたといいます。大夫は、中古に行われた獅子舞のことであり、伊勢神楽と性質を同じくするものです。この地にあって、毎年秋が過ぎると諸国を巡って、伊勢あるいは熱田神宮の御札を配り、獅子舞を演じ、お祓いをして志を集めていました。この獅子舞の大夫にちなんで、それが村名となったもの〈知多郡史〉と考えられています。ところで、「大符村、一に大夫とも大府とも書く」〈尾張地名考〉というように、大符や大府も用いられていたようです。やがて明治初期からは「大府」に統一されました。ほかに「七津大夫」に基づく伝説による由来も伝えられています。』とある。