ホリショウのあれこれ文筆庫

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第907話 消滅したビルマ国

序文・日本の傀儡政権

                               堀口尚次

 

 ビルマ国は、昭和18年から昭和20年にかけて、日本占領時期のビルマミャンマーに存在した国家日本の支援を受けてイギリス植民地支配から独立する形で誕生したが、日本の傀儡政権とする見方もある

 昭和16年、アウンサン率いるビルマ独立義勇軍が建軍され、日本軍と共にイギリス統治化のビルマへと進軍、翌年にはイギリス軍を駆逐して刑務所に収監されていたバー・モウが解放された。日本軍は新政府の指導者となるようバー・モウを説得し、彼を新しく設けた行政府の長官に就任させた。昭和18年早朝、ビルマ方面軍司令官・河辺正三は、バー・モウらを前に軍政施行撤廃を宣言。このあと日本政府・軍の後押しによる独立準備委員会は建国議会の成立と独立を宣言、「ビルマ国」が誕生した。バー・モウはNaingandaw Adipadi〈ビルマ語では国家元首を意味する一般名詞だが日本ではバー・モウがついたこの役職を国家代表と訳することが多い〉に推戴され、訪日時に授与された勲一等旭日大綬章を佩(はい)用(よう)して就任を宣誓。そのあと閣僚15名と枢密院議員17名を任命した。また即日、日本政府から承認を受け、同盟条約を締結するとともに、ラジオ放送を通じて米英に対し宣戦布告をおこなった。バー・モウはビルマ国内に向けてはNaingandaw Adipadiを名乗っていたが、共和制を忌避する日本に配慮し、対外的には首相を名乗った。1943年11月には東京で開かれた大東亜会議にバー・モウが参加しているが、大東亜共同宣言にはビルマ国内閣総理大臣として署名している。

 しかし、1944年末までにインパール作戦で大敗を喫するなど日本の敗色が濃くなった為、4月25日、南方軍ビルマ方面軍参謀副長・磯村武(たけ)亮(すけ)の示唆を受けた参謀部情報班所属の浅井得一がバー・モウ暗殺未遂事件を起こす。1945年3月27日、アウンサンは日本及びその指導下にあるビルマ国政府に対してクーデターを起こし、イギリス側に寝返った。1945年、連合軍のビルマ奪回を目指す攻勢を受け、日本軍は同年5月にラングーン〈現ヤンゴン〉から撤退した。それにより、ビルマ国政府は日本に亡命し、元首のバー・モウも8月にはタイ王国経由で日本へ亡命した。同年8月に日本が連合国に降伏したことでビルマ国は事実上解体、戦犯容疑者とされたバー・モウは同年12月に自らイギリス軍へ出頭した。

                       ※バー・モウ