ホリショウのあれこれ文筆庫

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第436話 アメリカ合衆国による沖縄統治

序文・今も残るアメリカ統治時代の名残

                               堀口尚次

 

 アメリカ合衆国による沖縄統治は、昭和20年のアメリカ軍による沖縄占領から、昭和47年の沖縄本土復帰に至るまでの、27年間に及ぶアメリカ合衆国による占領統治時代のこと。この間沖縄はアメリカ合衆国の地域として扱われた。

 サンフランシスコ平和条約には、アメリカ合衆国信託統治下に置くことに日本国が同意することが規定されたが、その後国連への提案はなされなかったため、日本は奄美諸島および琉球列島に対する主権〈潜在的主権〉を保持し続けることができた。昭和25年に群島政府を設置したが、翌年には琉球臨時中央政府になった。その後も琉球政府琉球列島米国民政府と改称された。

 アメリカは当初、琉球人は日本帝国主義に支配された異民族であると認識し、日本本土の一部でなく、日本が武力で制圧した島だと考えた。また沖縄人は自ら政治、経済を行えないという先入観から、沖縄人の自治能力を過小に評価していた為、沖縄における民主化に対して消極的であった。そのためにまず民主主義の基礎を築くことにし、市町村長、市町村議会の選挙を実施した。沖縄本島の収容所で行われた市会議員選挙で女性に参政権が認められ選挙が行われた。

 民政府は沖縄住民に対する文化政策を実施してきた。米軍は住民を独自の文化に誇りを持つ少数民族で、琉球処分後本土から差別・偏見を受けたと見られた。伝統文化を保護・継承させ、文化に対する自信と誇りを取戻し、独自のアイデンティティーを構築させる目的で始まった。またその政策により、良好な琉米関係を築けば本土復帰運動も収まるだろうと考えた。

 アメリカ軍は演習地や補給用地、倉庫群などの用地として、次々に集落と農地を強制的に接収した。特に現在の宜野湾市の伊佐浜の田園地帯と伊江島では集落ごと破壊され、大規模な土地接収が行われた。住民はこれらの様子を「銃剣とブルドーザーによる土地接収」として例え、アメリカ軍の強権の代名詞となった。またサンフランシスコ条約締結以降、軍政府は沖縄の本土復帰を唱える団体や運動を弾圧、さらに米軍兵による事件が相次ぎ、住民に反米感情が高まっていた。沖縄戦の影響で経済基盤が破壊された沖縄県では、通貨として日本円のほか、アメリカ軍の軍票であるB円が用いられた。日本本土との往来は、パスポートが必要となるなど制限が行われた。車両は本土とは異なり、車は右、人は左の対面交通〈右側通行〉だった。

※政治の中枢となった琉球政府・米国民政府合同庁舎