ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1632話 パナマ運河爆撃計画

序文・愛知航空機で造られた晴嵐

                               堀口尚次

 

 第六三一海軍航空隊は、日本海軍の部隊の一つ。太平洋戦争末期にパナマ運河爆撃を目指して編制し、実施に至ることなく終戦を迎えた。

 マリアナ諸島陥落を機に、長らく構想されていたパナマ運河破壊を実施に移すべく、伊四百(いよんひゃく)型潜水艦と特殊攻撃機晴嵐(せいらん)を組み合わせて運用する部隊として、第一潜水隊と六三一空が編制された。3機の水上機を搭載できる伊四百型潜水艦を母艦とし、晴嵐による奇襲爆撃を試みた。しかし母艦・艦載機とも生産が遅れ、実施する機会を失っていた。第一潜水隊と六三一空は一体運用を図るために、有泉司令はじめ首脳部は兼職となったが、一度も作戦を実施することなく、六三一空は終戦とともに解散した。

 伊四百型潜水艦は、太平洋戦争中の大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。特殊攻撃機「晴嵐」3機を搭載し、「潜水空母」とも俗称される。別名潜特型とも呼ばれる。第六艦隊司令部により、当初はパナマ運河の、次は1942年2月と6月、9月の複数回にわたって伊号第二十五潜水艦などにより行われた、アメリカ本土西海岸部への再度の攻撃が検討された。しかし、1944年12月に発生した東南海地震に加え、本土空襲で愛知航空機〈愛知県名古屋市熱田区〉の工場が破壊されたため、晴嵐の完成が遅延した

 晴嵐は、大日本帝国海軍が第二次世界大戦中に開発した水上攻撃機。設計生産は愛知航空機、略符号はM6A1。伊四百型潜水艦による戦略爆撃の目的で開発された、小型軽量の急降下爆撃が可能な潜水艦搭載用の水上攻撃機。昭和18年11月に初号機完成。だが1944年9月でも実験飛行の段階だった。第六三一海軍航空隊で運用された。1945年1月、有泉司令は魚雷によるパナマ運河攻撃の研究を命じた。3月下旬から4月上旬にかけて、作戦の検討が進む。呉潜水艦基地隊で、軍令部、第六艦隊参謀を交えた図上演習を実施。4月25日、士官に対し第一潜水隊全艦・晴嵐10機によるパナマ運河夜間攻撃計画が公表された。この段階では通常攻撃だったが、福永飛行長は「飛行機総特攻の時に晴嵐部隊だけ通常攻撃はありえない。全機特攻」と主張し、投下器から爆弾が落ちないよう工作を命じた。結局、全機800kg爆弾を装備した上での特別攻撃隊となった。しかし戦局の悪化によりパナマ運河攻撃は中止となり、ウルシー環礁の米軍在泊艦船攻撃に目的変更となる。