ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1469話 伊保原飛行場と神風特別攻撃隊草薙隊

序文・愛知から飛び立った特攻隊

                               堀口尚次

 

 伊保原(いぼはら)飛行場は、愛知県豊田市浄水町に存在した飛行場である。

 1940年に愛知時計電機〈航空機部門は後に愛知航空機となる〉の試験飛行場として建設され、その後、軍との共用飛行場となった。滑走路は3本作られた。第2次世界大戦中、ここから神風特別攻撃隊草薙隊が沖縄の米軍艦隊へ特攻を行い、語り部の方の説明によると62名〈慰霊碑には56名と記載〉が亡くなったとされている。現在は住宅地となっており、愛知少年院南側の浄水区民会館敷地内〈開豊神社〉には慰霊碑が建てられている。慰霊祭が毎年4月に行われていたが、遺族の高齢化等の理由により戦後70年を節目として2015年4月12日を最後に行われなくなった。

 草薙隊は、大東亜戦争〈太平洋戦争〉当時の日本〈愛知県〉において、爆装航空機による体当たり攻撃を目的に編成された民兵の航空部隊特別攻撃隊の一環である。「名古屋海軍航空隊」とも言う。

 草薙隊の訓練地は愛知県西加茂郡保見村〈現在の豊田市〉南部の伊保原と呼ばれている丘陵の上に2000mと800mの2本の滑走路を持つ飛行場であった。もともとこの地には昭和14年以来愛知航空機の試験飛行場があったところへ、昭和16年10月霞ヶ浦海軍航空隊の分遣隊が派遣され、翌昭和17年4月1日独立して名古屋海軍航空隊となり、十一総合航空隊に編入され、練習航空隊に指定され、陸上機操縦教育を担当していた。昭和19年9月から艦上爆撃機の操縦教育を加えられ、練習機部隊が第3岡崎航空隊へと移っていった後は、もっぱら艦上爆撃機の訓練に専念することになった。

 なお、戦争末期には、沖縄戦〈菊水作戦〉終結直後まで所属していた第二五二海軍航空隊から第六〇一海軍航空隊に編入された第三航空艦隊指揮下の攻撃第3飛行隊〈艦上爆撃機「彗星」=空冷エンジン搭載型である三三型と四三型装備の部隊〉が、7月上旬に千葉県の茂原基地から明治海軍航空基地〈現:安城市〉に移動・展開した後、空襲を避けるため、7月下旬に明治海軍航空基地に近接する本飛行場に移動・展開し、ここで終戦を迎えている。

 現在は豊田浄水特定土地区画整理事業により土地の分譲を随時行っている土地で、この土地は飛行場であったことから非常に地盤が良いとされ、名鉄豊田線浄水駅があり名古屋や豊田市街へのアクセスも良好である。