序文・反戦演説と粛軍演説
堀口尚次
斎藤隆夫〈明治3年 - 昭和24年〉は、日本の弁護士、政治家である。帝国議会衆議院において、立憲主義・議会政治・自由主義を擁護し、弁舌により軍部の政治介入に抵抗した。
「腹切り問答」を行った浜田国松や人民戦線事件で検挙される加藤勘十とともに反ファシズムの書籍を出したり卓越した弁舌・演説力を武器にたびたび帝国議会で演説を行って満洲事変後の軍部の政治介入、軍部におもねる政治家を徹底批判するなど立憲政治家として軍部に抵抗した。
反軍演説が軍部、及び軍部との連携・親軍部志向に傾斜していた議会内の諸党派勢力〈政友会革新派=中島派、社会大衆党、時局同志会など〉より反発を招き、議員の圧倒的多数の投票により衆議院議員を除名された。しかし、昭和17年総選挙では軍部などからの選挙妨害や内務省からの選挙文書の差し押さえをはねのけ、翼賛選挙で非推薦ながら兵庫県5区から最高点で再当選を果たし衆議院議員に返り咲く。
「ネズミの殿様」とのあだ名で国民から親しまれ、愛され、尊敬された政治家であり、その影響力は尾崎行雄、犬養毅に並ぶと言っても過言ではないほどであった。あだ名の由来は小柄でイェール大学に通っていた時に肋膜炎を再発し肋骨を7本抜いた影響で演説の際、上半身を揺らせる癖があったことによる。
粛軍演説『苟も立憲政治家たる者は、国民を背景として正々堂々と民衆の前に立って、国家の為に公明正大なる所の政治上の争を為すべきである。裏面に策動して不穏の陰謀を企てるが如きは、立憲政治家として許すべからざることである。況や政治圏外にある所の軍部の一角と通謀して自己の野心を遂げんとするに至っては、是は政治家の恥辱であり堕落であり、〈ここで拍手〉又実に卑怯千万の振舞であるのである。』斎藤は軍人の横暴に対する国民の怒りについて触れた。それらが大きな声になっていないのは、「言論の自由が拘束せられている今日の時代において、公然これを口にすることはできない」からだと述べた。戦争の渦に突き進み、心ではそう思っているのに口では違うことを言わなければいけない時代にあって、帝国議会にはまだ自由があった。斎藤はそれを最大限に用いようとしたのだ。この演説は1時間25分に及ぶ長演説となった。
