ホリショウのあれこれ文筆庫

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第920話 国府

序文・国府宮はだか祭

                               堀口尚次

 

 国府(こう)は、日本奈良時代から平安時代に、律令国国司政務を執る施設〈国庁〉が置かれた都市

 国府付近には国庁のほかにも国分寺国分尼寺総社〈惣社が設置され、各国における政治的中心都市であるとともに司法軍事宗教の中心部であった。なお『和名抄』によると、古くは「国」ではなく「島」とされた壱岐対馬には「島府」が置かれたとされる。

 律令制の衰退にともない立地の優位性を失い廃れたり所在不明になった国府もある一方、いくつかの国府所在地は、現在でも静岡市姫路市岡山市大分市など大きな都市として発展している。

 律令において、令制国の中心地である国府には、国司が政務を執った国庁等重要施設が設置されており、国庁の周囲は土塀等によって区画されていた。国庁とその周りの役所群を国衙(こくが)といい、それらの都市域を総称して国府という。現在は役所群のほうを国衙、都市のほうを国府と分けて用いているが、国府国衙を同一視する説もある。その説によると、国府国衙は、同時代的には置換可能な語で、歴史的には国府の方が先行し、8世紀には専ら国府という言葉が用いられ、平安時代後期以降に国衙が一般的になったとされている。

 国府は、室町時代には完全に消滅し、所在不明となった所が多かった「和名類聚抄」〈平安時代の辞書〉が国府があった郡を伝えるが、それ以上に絞り込むのは難しかった。1960年代までの研究では、「国府」、「国分寺」、「総社」、あるいはそれと似た地名が探索され、他の状況証拠と併せて様々に位置が推理された。しかし推定地は通常複数唱えられ、決め手を欠いた。国府の具体像に関する知識は皆無に近かった。

 筆者の地元である現在の愛知県での「国府」の名残は、尾張国では尾張大国霊神社国府宮(こうのみや)〈稲沢市国府宮町〉」の裸祭りが有名だ。この国府宮とは尾張国の総社を意味する。

 また三河国では豊川市白鳥町の「名古屋鉄道国府駅」がある。近くの曹源寺には「三河国総社・三河国府〈国庁〉

跡」があり、隣接して三河国総社もある。