ホリショウのあれこれ文筆庫

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第994話 孝婦とら

序文・親孝行娘は殿様を動かした

                               堀口尚次

 

 「三河の金次郎像全調査」という本に接する機会があった。その中に「孝婦とら」という像が紹介されており興味をもった。また、とらの生家あとに「孝婦碑」が建っており、碑文は以下の通りだ。

『虎は三河の国額田郡古部村の一平民の卑しい身分の女である。家が貧乏で資産は無く、父母は腹一杯食べたことは無かった。どうにも仕方が無いので、女の体でありながら日雇い人夫となって働きました。父親が病気になってからは父の看病につきそった。土地を耕したり木を切ったりして一生懸命に薪を作った。そして余暇がある時に岡崎城下に薪を売りにでかけた。家から三里半の道のりを普通の男子より重い荷を背負って行った。また父母は着物はあったがふとんがなかったので、虎が草を集めて布団の代わりとし、自分は鳥の羽をつけて寒さを凌いだ。夏には蚊帳がないので棕櫚の木の葉を編み扇をつくり夜中蚊を追い父母を安らかに寝させた。自分は蚊に刺されてもがまんした、父の薬を買いに知立まで歩いて通ったがさほど遠いとは思わなかった。

 役人が虎の孝行な行いについて報告し、その報告を里長に問いただすとその通りだと分かり享保9年殿様水野守が虎は孝行者であると感心しほめ、米と麦を賜った。その量は三人分の扶持に相当した。しかし夫との生活をわずかに助けるほどのものだった享保16年殿様が亡くなり岡崎明大寺の龍海院に米や薪を奉納して悲しむまたその後、殿様は虎の祖父が売った田や山林を買い戻し税金を免除された。貧乏のために他人のものを奪ったり飢え凍えたりしないようにという意味があったものでした。虎の子孫もまた孝行した。この虎の行いに対して誰が卑しい身分の女で表彰するには足りないという人が有りましょうありません。享保18年葵丑夏 岡崎の老人 松本尚縞』※「とら像」の履物が左右違うのは、薪を岡崎まで売りに行く姿で、父親が雨が降るから下駄を履いて行きなさいと言われ、母親は天気がいいので草履で行きなさいと言われ、親孝行のとらは右足に下駄、左足に草履をはいて出かけたという逸話を表わしている

私見】私は過日、愛知県岡崎市古部町を訪れ「孝婦とら」の像と生家跡にある「孝婦碑」と集落入口にある「孝婦虎之閭(さと)」の碑を確認した。またインターネットに紹介されていた隣町の茅原沢町の菓子舗「昭和堂」の焼き菓子「銘菓・とらさん」を購入した。※因みに岡崎城の殿様は、老中・水野忠之と推測する。


※筆者撮影