ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1097話 上杉に嫁いだ武田信玄の子女・菊姫

序文・甲州夫人

                               堀口尚次

 

 菊姫〈永禄元年 - 慶長9年〉は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。上杉景勝正室。永禄元年、武田信玄の五女として生まれる。母は武田一族・油川氏の出自である油川夫人。

 天正3年の長篠の戦い兄の武田勝頼織田信長に敗れて以降、勝頼は外交関係の再建に着手する。天正6年、越後国上杉謙信が死去すると、家督を巡り上杉景虎上杉景勝の間で「御館(おたて)の乱」が発生し、勝頼は後北条氏の要請で景虎支援のため越後へ出兵する。勝頼は景勝の和睦要請に応じて、景虎と景勝の和睦を調停して越後から撤兵するが、勝頼撤兵中に景虎・景勝間の和睦は破綻し、景勝が乱を制する。

 これにより後北条氏は武田氏との甲相同盟を解消し、武田氏と後北条氏は敵対関係に入る。勝頼は上杉氏との同盟を強化し、甲越同盟の締結が行なわれた。天正7年に、菊姫は両家の同盟の証として上杉景勝に嫁いだ。『甲陽軍鑑』によれば、景勝と婚約が成立する以前に長嶋一向宗願証寺の僧と婚約していたとされる。嫁入りの際、兄の勝頼が菊姫を心配して在府の家臣に送った書状があり、また、嫁いだ後も菊姫に奉公する家臣に、菊姫の様子について尋ねており、兄妹仲の良さも窺われる。

 嫁いだ後は上杉家中から甲州夫人もしくは甲斐御寮人と呼ばれ、質素倹約を奨励した才色兼備の賢夫人として敬愛され、第2代藩主・定勝〈景勝の庶長子=嫡男〉を始めとする後世の歴代藩主たちも謙信時代は争っていた武田家を丁重に扱ったといわれる

 景勝との関係については、江戸中期に成立した軍記物『奥羽永慶軍記』などの影響により、景勝の男色嗜好と女性嫌悪により両者の夫婦関係自体が非常に疎遠であったとする説もあるが、それをを実証する一次史料自体存在せず、また両者の夫婦仲をはっきりと実証できる同時代的史料が現在のところ認められないため、実際のところは不明な点が多い。ただし残された記録などから判断する限り、景勝は菊姫に対して正室としての一定の敬意や配慮を行っていると見られ、彼女に対する好意や敬意は終生抱いていたものと思われる。

私見上杉謙信武田信玄という宿敵同士の狭間で運命に翻弄された上杉景勝菊姫。政略結婚を絵に描いたような例だが、これも宿命なのだろうか。