ホリショウのあれこれ文筆庫

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第19話 生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず

序文・NHKのETV特集で、「”玉砕”の島に生きて~テニアン島日本人移民の記録」を観て、民間人の集団自決について考えさせられる事があり、筆を執りました.

                               堀口尚次

 

 1941年に、当時陸軍大臣だった東条英機が、軍人に軍規を徹底させるために示達した「戦陣訓」における、著名な一節。この一節により、日本軍の間で捕虜になることを否定する思想が広まったとして、民間人を巻き込んだ集団自決などの一因となったと云われることもある。また、この言葉が「玉砕」や「自決」など軍人・民間人の「自殺行為を正当化した」と見る向きもある。

 沖縄本島・周辺諸島及びサイパン島テニアン島などでの民間人の集団自決が痛ましいが、読んで字の如く「軍人に軍規を徹底させるために示達した」とあるのに、なぜ民間人にまで広まってしまったのか。集団自決現場にいた生き残りの民間人の方は「軍人が強要した」と証言している。「捕虜になると、女性はいたぶられ、男性は耳を削ぎ落とされる」などと軍人に云われたという証言もある。隠れた洞窟の中で、泣く乳飲み子を殺せと迫った軍人もいたという。

 実際この言葉は、室町時代や戦国時代の家訓などにしばしば使われていたようだ。近世では明治27年山縣有朋日清戦争時に「敵国側の俘虜(ふりょ)の扱いは極めて残忍の性を有す。決して敵の生擒(いけどり)する所となる可(べ)からず。寧(むし)ろ潔(いさぎよ)く一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男子の名誉を全うせよ。」と訓示した。

 戦時の軍事行動を規定したジュネーブ条約を遵守した日本に対して、清国軍は暴走して捕虜をとらず殺害するだけでなく、残虐で野蛮な方法で苦しめられた。加えて清国在住の邦人にも、日本人の手や足を切り、首を切り、睾丸を抜いたり、男根を切り取り、胸部を割って石を詰めるなどが行われた。こうした暴行は国際法では、報復する権利が認められているが、日本政府は報復を行わなかった。元長州藩士の山縣有朋の、武士道精神からきたものだろうか。

 この言葉の後には「死して罪過(ざいか)の汚名を残すこと勿(なか)れ」と続く。生きて捕虜になることも許されず、捕虜として死ぬことも許されないという。山縣有朋が訓示した経緯を鑑(かんが)みれば、東条英機は「戦陣訓」を上手く利用したのではないか。南京大虐殺など日本軍にも汚名に値する残虐行為は無いとは言えない。ただ「戦陣訓」なんて意識したことないという元軍人の証言が多い事も事実だ。

 沖縄の海軍司令部壕で拳銃自決した、海軍中将・太田実が直前に打電した沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜(たまわ)ランコトヲ」は広く知られているが、当時の訣別(けつべつ)電報の常套句(じょうとうく)だった「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄(いやさか)ヲ祈ル」などの言葉はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を訴えている。

 いったいこの電文が、望まざると死んでいった多くの軍人・民間人の名誉回復に寄与しただろうか。人々の魂が、大田中将の機微(きび)に届いたことを切望する。

 

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集団自決があったとされる場所に建つ慰霊碑(テニアン島

因みに、米軍に占領されたテニアン島から、原子爆弾を搭載したB-29(エノラゲイ号)が出撃している。