ホリショウのあれこれ文筆庫

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第322話 猩々メッタ

序文・私も叩いて欲しかった

                               堀口尚次

 

 猩猩(しょうじょう)〈猩々〉は、古典書物に記された架空の動物。能の演目である五番目物の曲名『猩猩』が有名である。真っ赤な能装束で飾った猩々が、酒に浮かれながら舞い謡い、能の印象から転じて大酒家や赤色のものを指すこともある。

 仏教の古典書物や中国の古典書物にも登場するが、中国では黄色の毛の生き物や豚と伝わるなど多岐に富み、現代日本で定着している猩々の印象とは相違もあるため、注意が必要である。

 猩々祭りは旧東海道鳴海宿を中心とした地域で行われる。猩々人形が子供達を追いかけ、大きな赤い手でお尻を叩こうとする。叩かれた子は夏病にかからないという。こういった風習は愛知県の名古屋市緑区を中心とする地域〈名古屋市南区東海市大府市豊明市など〉に見られ、この地域の祭礼には、猩猩が欠かせなものとなっている。最近はお尻を叩かず、頭を撫でる。猩々人形は赤い顔の面と上半身分の竹枠組みで出来ておりその上から衣装で覆うもので、大人がこれをかぶると身長2メートル以上の巨人となる。

 私の生まれ育った地元・東海市でもそれぞれの神社の秋祭りに猩々が登場するが、私たちは「猩々メッタ」と呼んでいた。東海市の中でも猩々メッタの表情や造りは様々であり、名古屋市南区大府市豊明市のものとも全然違う。特に私の地元の渡内地区のものは一線を画している。そして「バリン」と呼ばれる竹を割った棒状のものを振り回して、子供たちを追いかけ回す。バリンで叩かれた子供には、やはりご利益があるとされたが、悪ガキだった子供の頃は「猩々メッタ!くそメッタ~!!」と叫んで、猩々メッタに追い掛け回されたものだ。その猩々メッタは、竹で編んだ胴体〈上半身〉を、綿ふとんで覆った〈着物に見立てた〉造りになっており、下から被って入り込む感じになっていた。中に入った人は、ちょうど猩々の胸のあたりから外が見えるようになっている。その中に入るのは、町内の中学生以上のお兄ちゃんたちと決まっていた。

 昔は秋祭りの神社の境内でしか、猩々メッタには会えなかったが、数年前から町内を練り歩くようになったようだ。娘が小さい時に自宅前に来た猩々メッタにバリンで叩いてもらったが、はたしてご利益はあっただろうか。大病もなく健康に育ってくれたことから、バリンの効き目はあったようだ。