ホリショウのあれこれ文筆庫

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第326話 安徳天皇の哀れ

序文・諸行無常

                               堀口尚次

 

 安徳天皇は、第81代天皇〈在位: 1180年3月18日- 1185年4月25日〉。諱(いみな)は言仁(ときひと)。歴代の天皇の中で最も短命だった天皇。戦乱で落命したことが記録されている唯一の天皇である。高倉天皇の第一皇子。母は平清盛の娘の徳子〈後の建礼門院〉。

 源頼朝が派遣した鎌倉源氏軍〈源範頼源義経〉によって、平氏は「一ノ谷の戦い」と「屋島の戦い」に敗北。特に屋島合戦の敗北により、天皇と平家一門は海上へ逃れる。そして寿永4年4月、最期の決戦である「壇ノ浦の戦い」で平氏と源氏が激突。平氏軍は敗北し、一門は滅亡に至る。この際に安徳天皇は入水し、歴代最年少の数え年8歳満6歳4か月、6年124日崩御した。母の建礼門院平徳子〉も入水するが、源氏方将兵に熊手に髪をかけられ引き上げられている。この際、三種の神器のうち神璽(しんじ)と神鏡は源氏軍が確保した。

 『平家物語』「先帝身投」の描写では、最期を覚悟して神璽〈天子の印〉と宝剣を身につけた母方祖母・二位尼(にいのあま)〈平時子平清盛正室〉に抱き上げられた安徳天皇は、「尼ぜ、わたしをどこへ連れて行こうとするのか」と問いかける。二位尼は涙をおさえて「君は前世の修行によって天子としてお生まれになりましたが、悪縁に引かれ、御運はもはや尽きてしまわれました。この世は辛く厭(いと)わしいところですから、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのです」と言い聞かせる。天皇は小さな手を合わせ、二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。 

 陵(みささぎ)〈天皇陵〉は、宮内庁により山口県下関市阿弥陀寺町にある阿彌陀寺陵に治定されている。宮内庁上の形式は円丘。天皇を祀る赤間神宮境内に所在する。『平家物語』に安徳天皇は実は女帝であったのではないかという疑念を起こさせるような容姿の描写があり、『愚管抄』でも「龍王の娘」と記述している。これらをもとにして、浄瑠璃・歌舞伎の『義経千本桜』などでは、女子であったという筋立てを採用している。泉湧寺に残る安徳幼帝の肖像も女子のようにも見える。

 安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたとする伝説がある。九州四国地方を中心に全国各地に伝承地がある。