ホリショウのあれこれ文筆庫

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第759話 かんぽ生命から生まれたラジオ体操

序文・今年で95歳

                               堀口尚次

 

 ラジオ体操は、国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした一般向けの体操、または、その体操用音楽をピアノ伴奏にのせて指導を行うラジオ番組。

 昭和3年8月1日から1か月間、日曜を除く毎朝6:00から、社団法人日本放送協会大阪中央放送局が放送したのが最初であるが、既にあった徒手体操を指導員の号令のみで行い、伴奏はなかった。

 のちにつながる日本のラジオ体操は、アメリカのメトロポリタン生命保険会社により健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案され、1925年〈大正14年〉から広告放送として放送されていたラジオ体操番組 "Tower Health Exercise" が基となっている。

 放送開始に先立つ大正12年に保険事業に関する調査のため訪米した逓信(ていしん)省〈かつて存在した郵便、通信、運輸を管轄する中央官庁〉簡易保険局監督課長・猪熊貞治がメトロポリタン生命保険会社のラジオ体操の企画を知り、大正14年7月に『逓信協会雑誌』で紹介した。猪熊は昭和2年8月、簡易保険局の会議において昭和天皇即位を祝う事業としてラジオ体操を提案。昭和3年5月24日に簡易保険局日本生命保険社協日本放送協会三者が体操の考案を文部省に委嘱した。文部省では体育課長の北豊吉を委員長とし、体育研究所技師の大谷武一などを委員として検討を重ね、10月29日に国民保健体操の名称で発表、同年11月1日7時00分に天皇の御大典記念事業の一環として東京中央放送局で放送を開始した。振り付けは郵便局員が全国に周知した。

 初代の担当者は、陸軍戸山学校軍楽隊の三等楽長〈少尉相当〉から番組専属のアナウンサーに転じた江木理一。

 なお、資料によっては翌昭和4年2月12日から全国放送が実施された とされるが、前述の大阪中央放送局のほか、名古屋中央放送局で同時刻に独自の体操番組を放送していたことがあり、江木の放送が全国放送として定着した時期は昭和9年以降であるとされる。昭和15年には簡易保険局を厚生省に移管。

 昭和14年2月、全国ラジオ体操の会を結成。同年9月、厚生省は、国民体力向上に向けて旧ラジオ体操第3を発表し、12月には旧ラジオ体操第三を放送した。