ホリショウのあれこれ文筆庫

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第778話 風林火山

序文・動かざること山の如し

                               堀口尚次

 

 風林火山は、甲斐の戦国大名武田信玄の旗指物〈軍旗〉に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の通称である。古くは「孫子四如の旗」と呼ばれた。雲峰寺に日の丸の御旗、諏訪神号旗とともに現存するものが有名。好戦的と誤解されることが多いが、『孫子の兵法』の序文は「兵は詭道(きどう)なり」という言葉で始まり、「可能であるなら外交によって戦争を回避すべき」という教えである。

 風林火山の原文の出典は『孫子の兵法・軍争篇』の一節、風林火山の後にも続きがあり、全文は以下である。『其の疾(はや)きこと風の如(ごと)く、其の徐(しず)かなること林の如く侵掠(しんりゃく)すること火の如く動かざること山の如し、知り難きこと陰(かげ)の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し、郷を掠(かす)めて衆を分かち、地を廓(ひろ)めて利を分かち、権を懸けて動く。』

 「風林火山」は、いざ戦争となった場合の動きを示すための言葉であり、動くべき時には風のように迅速に、動くべきでない平常時には林のように静観し、いざ行動を起こすときには烈火の如く侵攻し、守るべき時には山のようにどっしりと構えるよう、状況に応じて柔軟に対応するように......との戒めである。転じて、「物事の対処の仕方」において、時機や情勢などに応じた適切な動き方を意味する熟語となっている。現代においては、ビジネスの経営者の間でも使われる場合がある。孫氏の教えの要は序文の「兵は詭道なり」であり、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という武田信玄の外交・調略を多く用いた方針を表している。武田信玄風林火山の旗を用いたのは、北畠氏が中国の兵法書六韜(りくとう)の軍学を奉じていたのに対抗するためと言われることが多い。

 『孫子の兵法』がヨーロッパに紹介されたのは、抄録(しょうろく)が18世紀にナポレオン・ボナパルトが愛読したと言われ、20世紀に漢文→日本語→英語と全訳が翻訳されたため、日本を介してヨーロッパに紹介された。このため、20世紀の軍学で『孫氏の兵法』が流行した。それに伴い武田信玄がヨーロッパで有名になる土壌があった。その後、黒澤明の日本映画「影武者」よって有名となったため、風林火山武田信玄の旗として認識されることがある。