ホリショウのあれこれ文筆庫

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第832話 大政翼賛会

序文・国家体制の刷新

                               堀口尚次

 

 大政翼賛会は、昭和15年10月12日から昭和20年6月13日まで存在した日本の政治結社。公事結社〈公益のみを目的とする結社。日本独自の概念で、外国では通用しない〉として扱われる。大政」は、天下国家の政治、「天皇陛下のなさる政治」という意味の美称、「翼賛」は、力を添えて天子をたすけること

 近衛文麿を中心として、国家体制の刷新を求める革新派を総結集させて新党を結成する構想は比較的早い段階から検討されていた。昭和13年国家総動員法衆議院内の既成政党の反対で廃案寸前に追い込まれた際には有馬頼寧(よりやす)・大谷尊由(そんゆ)らが近衛を党首とした新党を設立して解散総選挙を実施することを検討したものの、大日本帝国憲法下の戦前期日本の政治において二大ブロック制を構成し、「近衛新党」に党を切り崩されることを恐れた立憲政友会〈政友会〉・立憲民政党民政党〉が一転して同法に賛成して法案が成立したために新党の必要性が希薄になったことにより一旦この計画は白紙に戻ることになった。

 昭和14年1月5日、第一次近衛内閣総辞職による近衛の首相辞任後、同年9月1日にナチス・ドイツポーランド侵攻によりヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、その後のドイツの快進撃と国際情勢の緊迫化にともなって、日本も強力な指導体制を形成する必要があるとする「新体制運動」が盛り上がり、その盟主として五摂家筆頭の名門の出であり人気も名声も高い近衛に対する期待の声が高まった。

 穏健な多党制を構成していた既成政党側でも、社会大衆党を中心として近衛に対抗するよりもみずから新体制に率先して参加することで有利な立場を占めるべきだという意見が高まった。民政党総裁・町田忠治と政友会正統派の鳩山一郎〈戦後に首相歴任〉が秘かに協議して両党が合同する「反近衛新党」構想を画策したものの、民政党では永井柳太郎が「解党論」を唱え、「政友会正統派」の総裁久原房之介も「親英米派」の米内光政〈海軍大将・前海軍大臣〉を首班とし新体制運動に消極的な米内内閣の倒閣に参加して近衛の首相再登板を公言したために合同構想は失敗に終わり、民政党・政友会両派〈正統派・革新派〉共に一気に解党へと向かうことになった。右翼政党の東方会も解党し、思想団体「振東社」となった。