ホリショウのあれこれ文筆庫

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第943話 「大風呂敷」の後藤新平

序文・無政府主義者との親交

                               堀口尚次

 

 後藤新平安政4年- 昭和4年〉は、日本の医師、官僚・政治家。位階勲等爵位は正二位勲一等伯爵。

 台湾総督府民政長官。南満州鉄道〈満鉄〉初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣東京市第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京放送局〈のちの日本放送協会〉初代総裁。柘植大学第3代学長を歴任した。

 計画の規模の大きさから「大風呂敷」とあだ名された、植民地経営者であり、都市計画家である。台湾総督府民政長官、満鉄総裁を歴任し、日本の南方・大陸進出を支え、鉄道院総裁として国内の鉄道を整備した。関東大震災後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の帝都復興計画の立案・推進にも従事した。

 内務大臣に在任中、度重なる雑誌発禁処分により窮した大杉栄無政府主義者〉の不意の訪問を受ける。「いま非常に生活に困っているんです。少々の無心を聞いてもらえるでしょうか」と言う大杉に対して後藤は「あなたは実にいい頭を持ってそしていい腕を持っているという話ですがね。どうしてそんなに困るんです。」と応え、「政府が僕らの職業を邪魔するからです。」「が、特に私のところへ無心にきたわけは。」「政府が僕らを困らせるんだから、政府へ無心にくるのは当然だと思ったのです。そしてあなたならそんな話は分かろうと思ってきたんです。」「そうですか、分かりました。」というようなやりとりの後、300円を大杉に手渡している。大杉によれば、伊藤野枝(のえ)〈婦人解放運動家〉の遠縁にあたる頭山満(とうやまみのる)〈国家主義者〉から紹介された杉山茂丸〈政治運動家〉に、台華社での交渉で山口孤剣〈社会運動家〉と白柳秀湖〈社会評論家〉を例に挙げて「国家主義者ぐらいのところになれ」と軟化を迫られ、すぐその家を辞したものの、杉山の口から後藤新平の名前が度々出たことから後藤への無心を思いついたと語っている〈『大杉栄自叙伝』より〉。

 シチズン時計の名付け親でもある〈後藤と親交のあった社長から新作懐中時計の命名を頼まれ、「市民から愛されるように」と、市民を意味するCITIZENの名を贈った〉。本人の墓は、東京都港区の青山霊園にあるが、筆者の地元愛知県知多郡阿久比町の正盛寺には、妻とされるの竹内多加子の墓があるが、正妻ではないようだ。筆者は過日正盛寺を訪れ住職に説明を受けた。竹内家の末裔の方が管理されているとのことだった。

                    ※竹内多加子之墓 筆者撮影