ホリショウのあれこれ文筆庫

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第960話 モラル・ハザード

序文・人間の真価

                               堀口尚次

 

 モラル・ハザードは、倫理の欠如倫理観や道徳的節度がなくなり、社会的な責任を果たさないこと〈「バレなければよい」という考えが醸成されるなど〉。

 この「倫理の欠如」という意味でのモラル・ハザードは、英語のmoral hazardにはない日本独特の用法であり、海外ではほぼ通用しない。

 「モラル・ハザード」を日本語に翻訳する際、直訳されたため「道徳的危険」と訳された。そして、保険に加入して自らが火災を起こす保険金詐欺・給食費を払わない親の増加といった例をモラル・ハザードとして説明する際に、節度を失った非道徳的な利益追求を指すという解釈がなされた。日本で「モラル・ハザード」といえばこの意味をさすことが多い。しかし、このような「倫理・道徳観の欠如・崩壊・空洞化」という用法は、以前から誤用として識者に指摘されていた。2003年11月13日、国立国語研究所による『第二回「外来語」言い換え提案』によって、モラル・ハザードは「倫理崩壊」「倫理の欠如」との意味で用いられていた状況が報告されている。

 本来、「モラル・ハザード」には道徳的な意味合いはない。そもそも、英語の “moral” には「道徳的」のほかに「心理的」「教訓的」といった用法もあり、モラルが「道徳」を意味するかどうかも一概には言えない。

 保険業や経済学における専門用語としての「モラル・ハザード」には上述の通り経済学的・保険業的な特別な意味があるので、この語を倫理・道徳と関連させて使う用法は正しくない。 しかし、近年では国語辞典に「倫理の欠如」と定義されるなど、数多あるカタカナ語の一つとして定着しつつある。

私見】道徳の衰退・倫理観の欠如などは、昔から取りだたされてきた。戦前の修身教科書では、特にこの道徳や倫理に重点をおいた教育がなされていたように思う。個人主義が偏重された結果、公共の利益が軽んじられ、公私混同がはびこる世の中になってしまったのか。映画男はつらいよの寅さんは「お天道様はお見通しよー」と言ってたが、そのお天道様を恐れない輩が増えたのだろうか。かつては「人の振り見て我が振り直せ」ともいわれたし、「隣を横目で覗き、自分の道を確かめる」と歌った人もいた。学校での戦後民主主義では、多数決で数の多い方が正義だと教えたが、「一人でも立派な人は立派」と言っていた民族派思想家を思い出した。