ホリショウのあれこれ文筆庫

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第961話 助六

序文・定番寿司

                               堀口尚次

 

 『助六』は、歌舞伎の演目の一つの通称。本(ほん)外題(げだい)は主役の助六を務める役者によって変わる。江戸の古典歌舞伎を代表する演目のひとつ。「粋」を具現化した洗練された江戸文化の極致として後々まで日本文化に決定的な影響を与えた。歌舞伎宗家市川團十郎家のお家芸である歌舞伎十八番の一つで、その中でも特に上演回数が多く、また上演すれば必ず大入りになるという人気演目である。

 『助六』は歌舞伎の形式上「曾我もの」の演目。そのため侠客の助六が「実ハ曾我五郎」で、白酒売りは「実ハ五郎の兄 曾我十郎」という設定である。助六のモデルではないかと考えられている人物は三人いる。江戸浅草の米問屋あるいは魚問屋の大店に大捌(おおわけ)助六あるいは戸澤助六という若旦那がいたという説、京・大坂でその男気をもって名を馳せた助六という侠客だとする説、そして江戸・蔵前の札差〈幕府から旗本・御家人に支給される米の仲介を業とした者〉で、粋で気前のいい文化人として知られた大口屋暁雨(ぎょうう)だとする説である。

 このうち、史家の多くは第一の助六を否定する。その理由の一つが「助六」という名。これは上方でならありそうな名だが、江戸の「粋」の感覚からはどうにも野暮な名なのだという。俳人増田龍雨は、易行院〈現在の東京都足立区にある寺院〉に残る「助六の墓」について、実際に助六のものかは怪しいとしつつ、柳澤淇園(きえん)の随筆『雲萍雑志』に義侠で知られた米問屋「大捌助八」とその妻が易行院に葬られたとある事から、助八の墓が助六に転じたものかと推測している。

 京・大坂の助六はというと、江戸の幡随院長兵衛と並び称されるほどの侠客だったという。これが総角(あげまき)という名の京・嶋原の傾城〈遊女〉と果たせぬ恋仲になり、大坂の千日寺で心中したのが延宝年間のことであるという。ただし詳細は伝わらず、したがって異説も多く、助六は侠客ではなく大坂の大店・萬屋(よろずや)の若旦那だったとする説、総角は大坂・新町の太夫〈遊女〉だったとする説、そして事件も心中などではなく喧嘩で殺された助六の仇を気丈な総角が討ったものだとする説など、さまざまである。

 因みに、稲荷寿司と海苔巻きを折り詰めた寿司のことを「助六寿司」という。これは助六の愛人・揚巻の名が稲荷の「油揚」と「巻寿司」に通じることを洒落た命名である。