ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第1083話 五色の賤

序文・古代日本の身分制度

                               堀口尚次

 

 五色(ごしき)の賤(せん)とは、律令制の元で設置された古代日本の5種の賤民である。

近世の被差別民や近現代日本被差別部落の直接的な起源であるとする説が存在するが、議論がある

 7世紀後半に日本に導入された律令制は、中国のそれに倣って、国民を良民と賤民とに大別する良賤制を採用した〈良賤の法、645年制定〉。 律令における両者の内訳は、以下の通りである。

・良民=官人、公民、品部(しなべ)、雑戸(ざっこ)

・賤民=陵戸(りょうこ)、官戸(かんこ)、家人(けにん)、官奴婢〈公奴婢(くぬひ)〉、私奴婢(しぬひ)

陵戸は、天皇・皇族の陵墓を守る者で、養老律令施行によって賤民となった。官戸は、叛逆など犯罪行為の罰として没官されて賤民に落とされた身分で、口分田等は良民と同等であり、76歳になれば良民に復帰できた。家人は、支族の末裔が隷属化したもので、待遇としては私奴婢と同等であるが、売買は禁止され、仕事に制限があった。官奴婢〈公奴婢〉は朝廷の所有、私奴婢は豪族の所有で、官奴婢には古来からのものと犯罪によって落とされた二種類があり、それぞれ66歳・76歳で官戸・良民に復帰できた。私奴婢は良民の3分の一の口分田が班給され、売買・相続された。公私奴婢には戸の形成は許されなかった。

 朝廷が班田性と戸籍制度を基礎にした人民の人別支配を放棄し、名田経営を請け負う田堵負名(たとふみょう)を通じた間接支配への移行により律令制が解体していく過程で、この身分制も次第に有名無実化した。良賤間の通婚も次第に黙認されるようになり、中には賤民と結婚して租税を免れようとする者も現れた。789年には良賤間の通婚でできた子は良民とされる事になり、907年には奴婢制度が廃止された〈これには、9世紀末の寛平年間に既に廃止されていたとする見解も存在する〉。

 よって、古代の賤民と中世以降の被差別民、さらに近代以降被差別部落と呼ばれるようになった江戸時代の被差別民共同体との歴史的連続性はなく、性質の異なる起源を有したと考えられる。