ホリショウのあれこれ文筆庫

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第221話 日本人移民・日系人に対する強制収容の代償

序文・アメリカの蛮行

                               堀口尚次

 

 第二次世界大戦時において連合国、特にアメリカ合衆国アメリカの影響下にあったペルーやブラジル、メキシコなどのラテンアメリカ諸国、またカナダやオーストラリア、ニュージーランドなどのイギリス連邦において行われた、日本人移民や日系人に対する強制収容所への収監政策である。

 日本人移民や日系人は「敵性市民」というレッテルを貼られ監視の対象となった。ドイツ人やイタリア人〈日独伊三国同盟〉も同様の扱いを受けた。

 大統領令9066号〈防衛のための強制移動の権限〉が発令された後の1942年2月下旬から、カリフォルニア州ワシントン州オレゴン州アリゾナ州、そして準州のハワイからは一部の日系アメリカ人と日本人移民約12万人が強制的に完全な立ち退きを命ぜられた。

 最終的に同年3月29日をもって対象地域に住む日系人に対し移動禁止命令が下り、それ以前に自ら立ち退いた一部の人間を除く多くの日系人は、地元警察とFBI、そしてアメリカ陸軍による強制執行により家を追い立てられ、戦時転住局によって砂漠地帯や人里から離れた荒地に作られた「戦時転住所」と呼ばれる全米10ヶ所の強制収容所に順次入れられることになった。

 しかし、強制収容所の建設工事が間に合わなかったため、一部の人は一時的に16ヶ所に設けられた「集結センター」に収容されたが、その内のいくつかは体育館や競馬場の馬舎であった。なお、収容者のほぼ3分の2はアメリカで生れ育った日系アメリカ人だった。

 法的にも倫理的にも問題が多かった強制収容は終わったものの、その責任をアメリカ政府に公式に問うものは10年以上が経過しても現れないままであった。

 その後、1980年にカーター大統領は、強制収容を「軍事的必要性でなく人種差別に基づいた不当な物」と非難し、収容され生存している者約6万人に対し1人当たり2万ドルの補償金を支払う事を合衆国議会に勧告した。1988年にレーガン大統領は、「日系アメリカ人の市民としての基本的自由と憲法で保障された権利を侵害したことに対して、連邦議会は国を代表して謝罪する」 として、強制収容された日系アメリカ人に謝罪し、現存者に限って1人当たり2万ドルの損害賠償を行った。2021年バイデン大統領は強制収容を「アメリカ史で最も恥ずべき歴史のひとつ」と位置づけ非難し、「日系アメリカ人はただ出自のみによって標的とされ、収容された。連邦政府の行いは不道徳で、憲法にも反していた」との認識を示し、正式な謝罪を再表明した。そして「正しいことをするのに遅すぎることはない」と述べたアメリカ人がいたが、勇気のある発言である。

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