ホリショウのあれこれ文筆庫

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第740話 保見団地の生い立ち

序文・文化の相違

                               堀口尚次

 

 保見(ほみ)団地は、愛知県豊田市保見ヶ丘にある住宅団地。知立市知立団地同様に外国人〈特に南米出身者〉の居住率の高い団地として知られている。

 豊田市が人口増加に対応するために造成し、昭和52年頃に入居・分譲が開始され最盛期には約12,000人余りの住民を擁した。平成30年現在では団地内に住む外国籍住民は全住民の約55%にのぼり、豊田市立西保見小学校は外国人児童比率が約70%にも達する。

 昭和55年代後半から、同市周辺の主に自動車関連企業へと出稼ぎに来たブラジル人が多く住むようになる。その後も増え続け、同団地はブラジル人やペルー人、ボリビア人を中心に、南米出身者が多く住むようになった。そのため同団地に住む日本人と彼らとの間に、言語の違いや文化的な価値観の違い、犯罪の多発〈主に暴走族等によって〉、更に日本の法律や生活に関する取り決めなどを守らないなど、様々なトラブルや問題が起きるようになる。その結果、両者の間には軋轢が生じることとなった

 昭和65年代に入ると、右翼関係者、並びに日本人住民とブラジル人との対立が次第に激化。平成11年には、機動隊が出動するという暴動寸前の事態まで発生した。これを受けて、自治体の対外国人行政が飛躍的に進むこととなった。更に現在では、NGOやボランティア団体などが団地内で外国人住民への教育や、外国人住民と日本人住民との積極的な交流促進活動が行われるようになった。一般的にこのような団地を建て替える目途は50年とされ、保見団地は最初期の分譲開始から既に45年となるが未だに建て替えの話は出ず耐震補強するに留まっている。

 近年では造成開始以来からの個人商店が後継者不足により引退したり死亡したりする等で店を畳む事もあるが、かといって新たに店を開業する者もほぼなく衰退の一途を辿る一方であり益々近接地域への依存度が高くなっている。また、1990年代の対立と2000年代の和解以降、共生を目指してきたが、結果として日本人と外国人のコミュニティは完全に分離してしまい、共生ではなく棲み分けに近い状態となってしまっている等、これらの要因も相俟って、特に日本人側のコミュニティに於いて急速な高齢化が進んでいる。