ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第764話 北アイルランド問題

序文・カトリックの教派分離が発端

                               堀口尚次

 

 北アイルランド問題は、北アイルランドの領有を巡るイギリスアイルランド領土問題地域紛争の総称である。1960年代後半に始まり、解釈によっては1997年から2007年の間に終了したと考えられている。英愛では、婉曲的に厄介事と呼称される。ほとんどの武力組織は武器を捨てたが、その日以降も時折、小規模ながら暴力は続いている。

 1960年代後半、カトリックの少数派が被った教派分離に反対する公民権運動から紛争が始まった。北アイルランドの帰属をめぐって、主にカトリックで構成される共和派と民族派、主にプロテスタントで構成される王党派と統一派が対立したことで、30年に及んで暴力が蔓延した。主に共和派ではIRA暫定派など、王党派ではアルスター義勇軍などの武装集団の間で激しい衝突が見られるが、少なからず民衆暴動や英国の国家治安部隊によっても暴力行為は行われてきた。歴代政府によって否定されてきた英国の治安部隊と統一派の準軍事組織との協力は、今では受け入れられている。

 北アイルランド問題は、紛争、戦争、民族紛争、ゲリラ戦、内戦 など、いくつかの主体によって様々に定義されている。共和主義の武装集団の行動は、イギリスの治安部隊からはテロリズムとみなされているが、支持者による占領とイギリス帝国主義に対する革命、反乱、またはレジスタンス運動とも見なされている。歴史家の間では、呼称について意見が分かれており、一部では「テロ」という言葉の使用を否定している。

 1969年から1998年の間に本格的な内戦は勃発しなかったが、例えば1972年のロンドンデリーの血の日曜日事件や1981年の囚人のハンガー・ストライキの際には、双方で敵対的な動員が行われた。1998年に聖金曜日協定〈ベルファスト合意〉に基づいて和平合意が行われ、紛争は終結した。英国政府が初めて「アイリッシュ・ディメンション」〈アイルアンド島民全体が、外部からの介入なしに、南北間の問題を相互の合意によって解決することができるという原則〉を認めたことで、王党派と共和派の双方の合意を得ることが可能になった。また、北アイルランドでは、統一派と民族派で構成される主権協調主義な政府が設立された。