ホリショウのあれこれ文筆庫

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第555話 三里塚闘争

序文・ボタンのかけ違い

                               堀口尚次

 

 三里塚闘争は、千葉県成田市の農村地区である三里塚とその近辺で発生し継続している、成田市山武郡芝山町の地元住民および新左翼活動家らによる新東京国際空港通称:成田空港、2004年4月1日以降の正式名称は成田国際空港建設または存続に反対する闘争〈紛争〉成田闘争とも呼ばれる。

 三里塚闘争は、空港の建設地が現在の位置に決定するまでの経緯ならびに空港用地内外の民有地取得問題および騒音問題への懸念などにより、空港建設に反発する地元住民らが革新政党指導の下で結成した、「三里塚芝山連合空港反対同盟」による反対運動をその源流とする。反対運動はやがて開港を急ぐ日本政府のもとで行われた機動隊投入などの強硬策に対抗するため新左翼党派と合同することとなり、過激化。「ボタンのかけ違い」と呼ばれる政府側と反対派のすれ違いの連続の結果、世界の空港建設史上の中でもまれにみる難航を重ね 、激しい闘争によって開港が当初予定より大幅に遅れただけではなく、双方に死者を出す惨事をもたらした。

 開港後も過激派によるテロゲリラ事件や強固な反対運動が継続し空港の拡張が停滞したため、一時は世界屈指の国際空港の地位にあった成田空港も各国間の空港開発競争の中で次第に劣勢となっていった。また地域社会にも住民間の対立をはじめとする爪痕を残すなど現在に至るまで大きな影を落としている。さらにこの闘争は公共事業のあり方についても国内外で大きな波紋を呼んだ。

 成田空港建設においては、裏目となった日本国政府の政策とそれにより発生した三里塚闘争が、双方にあまりにも悲惨な結果をもたらした教訓から、公共事業を巡って紛争が起きている現場では、「合意形成の努力をしないまま、力に頼って事業を進めれば、力による抵抗を生む」「左翼の介入を許すと泥沼になる」という2つの自戒を込めて、『成田のようにならないようにしよう』が合言葉になった。もともと日本の国土はその狭さと平地の少なさから「空港適地」がほとんどなく、さらに内陸での成田空港建設では空港用地取得や航空機騒音等の問題が顕著に現れ、三里塚闘争による甚大な損失を招いた経験から、降日本の空港建設は、それらのハードルが低い海上や遠隔地で建設されることが多くなった。