ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1304話 空白の一日

序文・職業選択の自由

                               堀口尚次

 

 江川事件は、1978年のドラフト会議前日にプロ野球セ・リーグ読売ジャイアンツとのドラフト外入団により電撃的な入団契約を結んだ投手・江川卓(すぐる)の去就をめぐる一連の騒動。江川問題、江川騒動、空白の一日とも呼ばれる。

 当時の野球協約において、ドラフト会議で交渉権を得た球団がその選手と交渉できるのは、翌年のドラフト会議の前々日までとされていた。これは、会議前日まで交渉を続けた場合に、その交渉地が遠隔地だった場合に気候の急変などにより球団関係者がドラフト会議に出席できず、ドラフト会議に支障をきたす恐れがあるため、ドラフト会議の準備期間〈閉鎖日〉として設けられたものであった。

 1978年において、交渉閉鎖日は11月21日だった。また、当時のドラフト対象学生は「日本の中学・高校・大学に在学している者」であり、それ以外のドラフト対象としては学校中退者や社会人野球選手があったが、江川は大学卒業後に社会人野球に入らなかったため、野球協約の文言上ではドラフト対象外であった

 日本野球機構はドラフト対象の範囲を広げるため、1978年7月31日の改正によってドラフト対象選手を「日本の中学・高校・大学に在学した経験のある者」へ改正しており、江川のような浪人中のケースもドラフト会議の対象者に含まれるようになったが、この新協約は「次回ドラフト会議当日から発効する」こととなっていた。そのため、江川は後にも先にも、1978年11月21日の一日だけ、ドラフト対象規定の枠外にある、と解釈しうる状況であった

 1977年12月、江川が2度目の入団拒否を表明したため、ドラフト制度のため選手が自分の所属する球団を選べず、憲法第22条第1項が定める「職業選択の自由」に反するのではないかという議論が起きた。1978年2月16日、参議院法務委員会で質疑の対象になり、鈴木龍二三原脩川上哲治など球界関係者5人が参考人として呼ばれた。78年3月28日のプロ野球実行委員会においてドラフト制度を再検討することを決定し、ドラフト制度審議委員会の設置を決めた。その結果、1球団の指名は4名までとし、指名が重複した場合に抽選を行い独占交渉権を決定する方式に変更された。