ホリショウのあれこれ文筆庫

歴史その他、気になった案件を綴ってみました。

第841話 カルピスをつくった男

序文・仏教哲学が根底にあった

                               堀口尚次

 

 三島海雲(かいうん)明治11年 - 昭和49年〉は、明治・大正・昭和時代の日本の実業家。特に「カルピス」生みの親、カルピス株式会社の創業者として著名明治11年大阪府豊島郡下萱野村の浄土真宗本願寺派水稲山教学寺の住職の子息として生まれる。13歳で得度する。

 明治37年 - 日本軍部から軍馬調達の指名を受け、内蒙古に入り、ケシクテンでジンギスカンの末裔、鮑(ホウ) 一族の元に滞在。酸乳に出会う。現地で体調を崩し、瀕死の状態にあったが、すすめられるままに酸乳を飲み続けたところ回復を果たしたという。海雲はのちに、「異郷の地で不老長寿の霊薬に出遭った思い」だったと記している。

 大正6年 - カルピス社の前身となるラクトー株式会社を恵比寿に設立。発酵クリーム「醍醐味」、脱脂乳に乳酸菌を加えた「醍醐素」、 生きた乳酸菌が入った「ラクトーキャラメル」などを開発、販売するが失敗。しかし海雲の人望は厚く、この間にも多くの財界人などから援助を得た。大正8年 - 試行錯誤の末、世界で初めての乳酸菌飲料の大量生産に成功。カルピスとして発売する。

 「カルシウム」とサンスクリットの「サルピス」〈漢訳:熟酥(じゅくそ)〉を合わせたものである。海雲はマーケティング活動にも秀でていた。「カルピス」という特色ある商品名の考案、「初恋の味」というキャッチフレーズの採用のほか、有名な黒人マークは今でいう国際コンペで募集されたものである。平成元年に一部から「差別思想につながる」との指摘を受け、パッケージリニューアル時にこのマークは使用されなくなった。

 「カルピス」の商品名はサンスクリット語仏教用語が語源である。このように海雲の生涯の根底には仏教精神、仏教哲学があり、学生の頃より、「国利民福」〈国の利益と人々の利益〉を旨(むね)としていた。「『お釈迦様は、一切の行動の効果を有するものは唯私欲を離れし、根本より生ずる』といわれた。私が今日あるのは先達、友人、知己、国民大衆の方々のカルピスに対する惜しみない声援によるものである。したがって得られた財物は1人三島海雲のものではない。あげて社会にお返しすべきだ。私欲を忘れて公益に資する大乗精神の普及に在る。広野に播かれた一粒の麦になりたいのである。」