序文・GHQも混同
堀口尚次
三菱鉛筆株式会社は、日本の文房具製造会社である。鉛筆、色鉛筆、シャープペンシル、ボールペン、サインペンなどを製造・販売する。三菱鉛筆の三菱マークは三菱財閥より先に商標登録しており、三菱鉛筆は三菱グループ企業ではない。
明治20年に、眞崎仁六が「眞崎鉛筆製造所」を東京市四谷区内藤新宿1にて創業。その後、大正7年に横浜市神奈川町に色鉛筆製造元である「大和鉛筆」が誕生し、両者が合併して「眞崎大和鉛筆」とした。明治34年に、国産初の量産型鉛筆3種類を、当時の逓信(ていしん)省〈のちの郵政省、現在の総務省・日本郵政・NTTグループ〉への納品に成功。これを記念して明治36年、「3種」や創業者の家紋「三鱗(みつうろこ)」などを表す意味で、赤い3つのひし形を模した「三菱」をロゴマークとして商標登録した。昭和27年には、正式に社名を「三菱鉛筆」と変更し、現在にいたる。
「三菱」の名称とスリーダイヤは、1901年に逓信省への『局用鉛筆』が納品されたことに際して、1903年に商標として登録されたものである。これは三菱財閥〈現在の三菱グループ〉よりも10年早く登録されている。
2019年7月現在、三菱グループの三菱UFJグループが19位〈1,014,772株、比率1.57パーセント〉の大株主である。
眞崎大和鉛筆〈三菱鉛筆の前身〉の社長を輩出した近藤家および、三菱鉛筆の現オーナー一族となっている数原家と三菱グループの岩崎家には間接的婚姻関係があるが、それ以上は発展していない。また、本来の創業一族・眞崎家は、岩崎家との姻戚関係もない。
三菱鉛筆は、社名が「三菱」であること、三菱グループと同一のスリーダイヤをコーポレートマークとしているため、同グループと間違われることがある。第二次世界大戦後の財閥解体時にはGHQも三菱グループ系列と混同し、商標の使用禁止を迫ったが、当時の経営陣が財閥との無関係性を主張し要求を退けた。その際の条件に「商標が『非財閥』であることを公告し、製品にも明記すること」があったため、当時の製品や広告には「非財閥」と記載されていた。