ホリショウのあれこれ文筆庫

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第1060話 三三七拍子

序文・実は四四八拍子

                               堀口尚次

 

 三三七拍子は、明治大学應援團で考案された応援様式であり、全国に幅広く普及している日本の代表的な応援技法のひとつである。

 初代団長・相馬基(もとい)が考案し、大正10年に行われた早稲田大学との対抗試合で初めて披露された。その後、六大学野球などを通じて有名になり、また、卒業生が各地の企業や学校の運動会の応援を指導する際に用いたことで全国的に普及、定着し、日本の代表的な応援手法として、全国各地の学校運動会からプロ野球高校野球、オリンピック応援など、各種応援の場で幅広く使用されている。

 紋付袴姿での「三七拍子」は、元来は相撲部出身で初代團長となった相馬基が創作した応援形式で、肩より上に両手を広げて柏手するリーダーテクニックも、相馬が、相撲の不知火型(しらぬいかた)の奥義から古式ゆかしい美と豪放の精神を基礎とした種々の所作を採り入れたのが原型とされる。

 応援一般に用いられるが、学校行事やスポーツ応援の他、締めや激励、祝勝の時に縁起担ぎ的に使われるケースが多い東京ディズニーリゾートのディズニー・イースターなどアミューズメント施設のアトラクションなどにも使用されるなど、利用シーンは多岐に亘り、その影響はスポーツ応援の範疇にとどまらず、文化全般に亘る。

 三三七拍子とはいうが、西洋音楽の定義の「拍子」とは異なるものである。

 昭和35年代のグループ・サウンズブームの始まりとされる『フリフリ』〈ザ・スパイダース〉では、ロック音楽に初めて三三七拍子が取り入れられ、西洋音楽に日本のテイストが加味された斬新なサウンドは、その後一世を風靡するグループ・サウンズの先駆けとなった。

 音楽学者の岩井正弘〈神戸大学名誉教授、日本民俗音楽学会会長〉は、3,3,7の次にそれぞれ間(ま)があるため、実質的には四四八拍子にあたると指摘している

更に「三三七拍子」のリズムが、後に作曲された日本の有名な歌謡曲・ポピュラーソングに多く組み込まれているとの指摘がある。