ホリショウのあれこれ文筆庫

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第608話 海軍軍人が作曲した「美しき天然」

序文・チンドン屋のテーマ曲

                               堀口尚次

 

 美しき天然は、佐世保海軍第三代軍楽長の田中穂積作曲、武島羽衣作詞の唱歌明治35年完成。ワルツのテンポでと楽譜に表示されていることから、日本初のワルツとされる。また日本最初のヨナ抜き短調である。天然の美とも呼ばれる。また「美しき」を「うるわしき」と読む人も多いが、歌詞に「うつくしき この天然の」とあるから「うつくしき」と読む方が正しいと思われる。初出は作曲年の明治35年唱歌教科書〈巻三〉』。当時の高等女学校で唄われたが、以後、昭和24年までの学校教科書から姿を消す。

 因みに、「ヨナ抜き」とは「四七抜き音階」とも表記し、ヨナ抜き長音階西洋音楽長音階に当てはめたときに主音〈ド〉から四つ目のファと、七つ目のシがない音階〈ドレミソラ〉のこと。

 私立佐世保女学校の音楽教師でもあった田中は、烏帽子岳や弓張岳からの九十九島佐世保湾など、佐世保の山河の美しい風景に感動し、これを芸術化し世に広めたいと考えていた。そこで、折りよく入手した武島羽衣の詩に作曲し、本曲は誕生した。この武島の詩は佐世保とは無関係であったが、田中の思い描いていた九十九島にぴったりだったという。昭和33年、烏帽子岳山頂に顕彰碑が建てられた際には、武島は東京から祝辞を送っている。この曲は、女学校の愛唱歌として地元では長らく親しまれてきたが、広く一般に知れ渡ったのはかなり後のことである。活動写真の伴奏や、サーカスチンドン屋ジンタとして演奏されたことも、この曲が有名になった大きな要因の一つである中山晋平は『船頭小唄』で、古賀政男は『サーカスの唄』『影を慕いて』『悲しい酒』でメロディーをほぼ流用しており、日本の歌謡曲のルーツであるともいえる。※ジンタは、明治時代中期の日本に生まれた民間オーケストラ「市中音楽隊」の愛称。大正時代初期に付けられた。ヂンタとも表記され、演奏を模した擬声語であると言われている。

 因みに、田中穂積は、イギリスの海兵隊に倣って明治初期の日本海軍に短期間置かれていた、歩兵・砲兵及び楽隊・鼓隊から成る部隊である日本の海兵隊に在籍していた。儀礼に要する衛兵や野砲の運用を受持っていた。